クスリの巫女は誰が為に歌う

私の詩は"クスリ"と呼ばれる。私の歌は"奇跡"と呼ばれる。薄暗い神殿の中に閉じ込められている私自身には、なにも関係はないんだけど。生まれた時から今までこの声が凄いと思ったことなんてない。人を癒す力があると言われたって分からない。だって・・・自分自身には効かないのだから。 この王国の神殿には、一人の巫女がいる。その歌声が王国を支える。他国との交渉にも使われる。ただ、巫女は外の世界を見たことがない。

unknown

13年前

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神殿の奥深く、侍女達以外は誰も訪れない、薄暗い祈りの間。私の一日はここで全てが完結する。 昼間は言葉を処し、朝と夕方に定律詩を歌う。世の中に乱れぬ平和を、人々に安穏を。 そんな私の唯一の楽しみは、業から解放される夜、誰のためでもない、自分のためだけの詩歌を綴ること。 今夜も、毛布の端に隠しておいた木版と炭で、何を書こうか思案しはじめた時。 がざがざ、と。 部屋の隅で、聞き慣れない物音がした。

13年前

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燭台を手に、物音のしたほうへと歩み寄る。ゆらめく火に照らし出される──人の影。 私は声を張り上げようとして、すんでのところで飲み込む。隅の暗がりから姿を見せたのが、十くらいの少年だったからだ。衛士たちが駆けつければ、小さな侵入者をたちまち串刺しにするに違いない。 少年はみすぼらしいなりをしていたが、双眸は確固たる意志を秘めているかに見える。 「何ぞ私に用か?」 用心しつつも、静かに問うた。

saøto

13年前

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一瞬、その瞳が迷うように揺らめいた。少年の瞳は、オレンジがかった茶色だった。蝋燭の光で金色にも見える瞳は、すぐに輝きを取り戻す。 「姉さまを、…姉さまをお助けください」 震える声でそう告げた少年の表情は深刻で、その決意を表していた。 話によれば、少年_テオの姉であるリタは、不治の病に冒されているらしい。 助けてやりたい、心からそう思った。 私の歌なら…あるいは彼女を助けられるかもしれない。

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それでも直ぐに首を縦に振ることは躊躇われた。なぜなら古より伝わる禁を破ることになるからだ。 歌に私情を含んではならない。 日々私が綴る詩は必ず顔も名前も知らぬ人物に向けられている。そこに私情が籠るとたちまち詩は濁り、歌は毒となるという。だから私は神殿に閉じ込められているのだ。私に触れ合う人間を極端に減らすために。 テオによって、私はリタを知ってしまった。 助けたい、という私情を抱いてしまった。

lalalacco

13年前

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しかし、それをそのまま伝えたところで何になるだろう。少年に自棄を起こさせるわけにもいかず、かと言ってやたらと希望を抱かせるわけにもいかず、ただ先延ばすことにした。 「私独りの一存でそれは叶わぬ。神官長殿に相談してみよう。二度と隠れて入り込もうなどと考えぬことだ」 テオはまだ何か言いたげに口を開きかけたが、この夜はこれで幕となった。 己のための詩歌など、一節たりとも書けなかった。

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煩悶する夜を送るようになった。夜は不吉な雑念をはらりと心に忍び込ませる。 定めを怠ることはしないが、神官たちの表情は次第に優れないものになっていった。彼らは私の詩に宿る力が衰えていることを見抜いているのだ。監視の人数も増えた。 自分のために紡ぐ詩の時間はなくなっていた。反面、テオの願いが頭に鳴り響き、私の聖域を蹂躙する。 こめかみを押さえ、書き物机に突っ伏した。 私にはどうすることもできない。

aoto

12年前

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──神よ。この一巫女に何の力が或ると申すのか。私の詩がクスリと成るならば私の声を生贄に全ての世の病を治してはくれまいか。 籠もり歌う我を覗き見て嗤っておられるのか。詩は宴か。さぞ楽しかろう。其方は悪魔か。何故このような力をお与えになった。世の少年の眼は金色か。私にはそんな事すらもう解らぬ。テオは何かを言いかけたが、私は独り籠もり歌う事しかできぬ。触れ合いは許されぬ。 なんと此の生の無意味なものか。

noname

12年前

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私情…我欲とは、汚濁であると同時に甘露である。私はそれを知ってしまった。残酷なまでの無垢を、取り戻す事は叶わない。 私はテオの為に彼の姉を救いたい。 神よ、願わくばこの歌の毒は我身に。衰えゆくクスリの力が、最後に救うのが顔も知らぬ大切な彼女であるように。 この、生命を御身に捧げる詩を紡ごうゆえ。 私は最期の詩を歌う。 巫女を喪う王国の行く末など知らぬ。 あぁ、これこそが。 我が為に綴る詩なのだ。

Hydrangea

12年前

- 完 -