帰宅の途中に僕は大きなカバンを見つけた。 誰も気づいてないふりをしている。 僕は恐る恐るそれを手に取った。 しかし、誰もこっちに興味を示さなかった。 このカバンは僕のしか見えていない。 現実世界にない現象に僕は戸惑ったが、 カバンを家に持ち帰った。 カバンには鍵が掛かっていた。 開けることができないと思ったら、鍵が勝手に空いた。 少し驚いたが僕はカバンの中を覗いた。
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カバ… ん? カバだな、これ。 うん、カバだ本当にカバだ。 カバンの中にカバがいた。 カバ in カバンだね紛らわしい。 柔らかそうな水色の小さなカバが、 歯ブラシをくわえて僕を見上げている。 歯磨き粉の広告みたいだな、おまえ。
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触ったら噛むかな。 いや、歯ブラシをくわえてるんだから、いきなりガブリとはこないだろう。 僕はカバンに手を差し入れてみた。 カバが特に反応しないので、両手でお腹のあたりをそーっと掴み、カバンから出してみる。 ひんやりして、すべすべして、妙に気持ちいい。このカバ。 床に置くと、カバは歯ブラシを揺らし、また僕を見上げた。 円らな目がさっきより輝いている。 なんだ?妙に嬉しそうだな?
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ていうか、そんな目で見ないでくれ。 上目遣いは、カバでも可愛すぎるだろっ。 しばらくの間カバと僕は見つめあっていたが、動きがないカバに対し、何かしかけて見ることにした。 僕はおそるおそる手を伸ばし、歯ブラシを引っ張った。
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おっ、取れない。 このカバ見た目と裏腹に、強いぞ強い。 いくら歯ブラシ引っ張ってみたって、うんともすんとも言わないじゃないか。 あれ、あれっ? こいつはカバか? 目がかすむ。 カバが違う生き物に見えてきた。 僕は間違っていたんだ! こいつはカバなんかじゃなかった。 スッポンだ! オーマイガー
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いつの間にかカバはスッポンに、歯ブラシは僕の指にすり替わっている。いてて。引っ張ったら指がもげそう。 引いてダメなら押してみろ。思い切って指を押し込むと、スッポンの口が大きく開き、勢い余った僕は口の中に転がり込んだ。 あれ、スッポンの口がそんなに大きい訳ないじゃない。 見回すが真っ暗。見上げると頭上に細い光が見える。 徐々に目が慣れて、ようやく気付いた。 そうか。 ここはカバンの中だ。
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なぜか僕の体は小さく縮んでバッグの中にいる。 目の前には歯ブラシとスッポン。 僕はどうしたらいいのか頭が混乱して、いつの間にか歯ブラシを両手で持ち上げ、スッポンの歯を磨いていた。 スッポンは気持ち良さそうに目をつぶっている。 僕はスッポンの歯を磨きながら、これからどうしようかと考える。 このままスッポンに食われちゃうのか? 身体は元に戻せるのか? 僕どうなっちゃうのっ?! しかし手は止まらない。
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その手はいつの間にか太くなっていた。 あれれ、これってカバの手? 歯を磨いてあげていたはずのスッポンは奥に引っ込み、カバになった僕をじっと見ていた。 ああ、どうしたらいいんだ。 途方に暮れたぼくはカバの手を頭にあてうんうん悩むしかなかった。 仕方ないとりあえず落ち着くために、歯でも磨こう。 僕はカバの姿で歯を磨き始めた。
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あれ、歯ブラシがちっとも動かない。 困ったな、と下ろした手も固まった。 おかしいぞ。これじゃあ、まるで最初に鞄で見つけた…。 ああ、だからお前は嬉しそうだったのか。 見渡してもスッポンはもうどこにもいない。 鞄のチャックがひとりでに閉まって外の世界も遮断され、カバンごと体がふわりと浮いた。 きっと今頃、道の上。 僕がカバンを見つけた交差点。 僕もカバンを拾ってくれる人を待っている。
- 完 -