『大好き。本当大好きです。 ありがとう。 思い出をありがとう。 楽しかった事、嬉しかったこと。 ケンカもいっぱいしたよね! …本当に全部ありがとう。 ありがとう。大好き。ありがとう。 …ごめんね、またね』 その言葉を遺し、彼女は目を開けることは なかった。
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目をつむる彼女の横にそっと花を置いた。 「さよなら」 そういって僕は 電子版のセーブデータをタップした。 意識が次第にはっきりして行く。 僕は目に付けてあるサングラス型のバーチャルゲーム機を外した。
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寝ているベッドの上体側がゆっくり起き上がると、白衣を着た人が何人か僕を取り囲んでいた。 「どうでしたか、悲しかったですか?」 問われて考える。 「ええ......いや、どうでしょう。普通なら悲しいんだろうな、って客観的に見ていた気がします」 少し頭が痛い。 「また試されますか?」 「そう、ですね」 僕は『悲しい』という感情をいつからか失くしているようで、いわばリハビリ施設のようなところにいた。
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「では次はこちらを装着してください」 僕は医師に言われるがままに、同じように機械を装着した。 数秒後その映像は映し出された。 「ここは…」そこに映し出されたのは“あの日の記憶”だった。(暑い…意識が遠くなってく…)「おい!ユウタ!しっかりしろ!」どこか懐かしい声がする…「今こいつをどかすからな!大丈夫だ、お前は必ず俺が助けるからな」(これは…父さん?)そうだ!思いだした!この映像は火事の時の‼︎
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「…父…さん…」 無意識のうちに、呟いていた (あつい…あついよ、とうさん!助けて!) 幼い僕が、必死に訴えている (大丈夫だ!父さんが絶対に助けてやるからな!) ああ あの時僕が戻らなければ 父さんも 死ぬことはなかったかもしれない
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それからだろうか。 僕が悲しみの感情をなくしてしまったのは。 父さんが死んだ事実から逃げるため。 悲しみから逃げるため。 「やめろ、やめろ」 おかしくなりそうだった。 叫んで装置を外そうとする。 早く逃げたい。 暴れる身体を押さえつけられる。 「また、逃げるんですか?」
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仕事で家を空ける事が多かった父さん。 いつも僕の誕生日にも入学式にも側にいる事はなかった。そんな父さんが、初めて僕に誕生日プレゼントを用意してくれたんだ。野球のグローブ。僕、サッカー部なんだけど。 「ベタかも知れないが、息子とキャッチボールするのと酒を呑むのが夢だったんだ」と、微笑んだ父さん。あれから一度もキャッチボールは出来ていないけど、その日を楽しみにしてたんだ。だから、僕は、戻ってしまった。
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父さんからもらった始めてのプレゼント。扉を開けてすぐのところに置いていた。 そんなのまた買ってやるのに。父の声が背に聞こえていた。ひょっといって、とってくるくらいあっという間のことだと思っていた。 火事は、そのときの僕には現実味がなくて。また、買えばいいだなんて嘘だ。始めての誕生日プレゼントはこの世で一つきりなんだから。わがままだってことは分かっていたのに。こんなことになるなんて思わなかったんだ。
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グローブを取りに戻らなければ。 取りに戻った時、炎が怪獣のように暴れ出した。一瞬にして崩れてきた何かが僕の身体を押しつぶし、グローブを抱きかかえたまま僕は熱さの中で父さんと最期のやりとりをした。『絶対助かる。だからキャッチボールしような』 父さんは僕を助けた後、炎に包まれ、僕は消防士に助けられ──。 僕は忘れていた。最期の言葉を。父さんはどんなときも前向きで。 久しぶりに僕は泣いた。
- 完 -