月光もまた君だと気がつくのに、随分と時間がかかってしまった。

友人にすすめられた個展に行くと、そこは暗い世界と人工的な豪華さの混在だった。
その絵は深い緑に暗い空の色が美しく、ただ白く浮かぶ月とそれに照らされた白い女性だけが、まるで闇に溶けるように佇んでいた。
「綺麗な絵ですね」
私が言うと、個展主の彼は柔らかく微笑む。
「君はこの絵も僕のこともその色眼鏡で見てるんでしょうね。こんな絵、額さえなければなんの魅力もない」
そう言って白い女性を指で優しく撫でた。

紫乃秋乃
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そのときなぜか、この絵の女性にはたった一人のモデルがいて、この初老の紳士は、その人をとても愛しているんだな、とすぐに分かった。
本物の素晴らしさを知っているから、まがい物の美しさでは満足できないのだ。
それならば。
「貴方はどうして絵を描くんですか?」
すると彼は、柔らかい微笑みを引っ込めて言った。
「君には理解できないだろうから、言いません」

オム飯
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芸術家は気難しい。それも私の色眼鏡が見せる偏見だろうか。ともかく居心地が悪くなって、その場はお茶を濁してそっと画家から離れた。家へ帰り着いてからも何となくもやもやしたものが胸に漂い、件の友人に彼について訊いてみようと思い立った。
個展をすすめてくれたことへの御礼と共に、初老の画家とのやり取りを正直に書き添える。あれはどう言うことだろうか。素直に問うてみる。
他人に訊いてもわからないかも知れない。

金春こんぺい燈
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敬愛なる我が友へ
前略
個展、楽しんでくれたようで何より。
早速、御老体の話に入ろう。端的に言えば、昔通っていた絵画教室の先生だ。
さて、君は彼の言葉を受け、色々と考えているようだが、気にする事は無い。お茶目な御仁だから、君の戸惑う様子を見たかった、と言った所かな。
もう一度会えばはっきりするだろうよ。そう言う訳で、彼の次回の個展のチケットを同封したよ。是非楽しんでおいで。
草々
君の生涯の友より

イワトオビオ
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キザな彼らしい返答だ。同封された個展のチケットから特設サイトのURLを調べた。

「特別展示『ユリネ』」

トップページには、あの月と女の白い絵が掲載されている。紹介文から察するに、その女性をモチーフにした作品群を展示するらしい。あの雰囲気の絵が複数存在する事実に驚くと共に、そのキャッチコピーには不思議と惹かれるものがあった。

『幾つも月光を描いてきた。そのたびに、君じゃないと嘘をついてきた。』

- 5 -

9月14日はよく晴れた平日だった。夏の火照ったカラダを冷ますような秋風を感じる秋晴れの空。

そんな日の夕暮れに、私は『ユリネ』を訪れた。

会場は、昏くて、蒼くて、 寂しくて…。
月と女の絵画が額縁もないまま数枚掛けられているだけで、他には何もなかった。

けれど、そこにはそれだけで十分な何かがあった。月も女も純白の輝きを持って、生きていた。

初老の男は、椅子にすわりピクリとも動かなかった。

くもりぞら
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前回の居心地悪さを束の間思い出して、私は声をかけるタイミングを見計らうのに若干まごついた。その間も老人は背筋をしゃんと伸ばし微動だにしない。
いや、違う。彼は──。
昏く蒼い照明のせいで目立たないが、老人はただ静かに、厳かに、涙を流していた。
「泣いておられるのですか」
気がつくと私は彼に寄り添うように立ってそんな事を尋ねていた。
「泣いているのではない」
「しかし」
「涙を流しているのです」

モノ カキコ
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「感情を伴わずとも、涙は出る」
嘘だ。
すぐに分かったけれど、この場でそれを糾弾する気にはなれなかった。
嘘は額縁と同じだ。嘘を失くした真実に、どれほどの魅力があるというのだろう。

でも──今日、ここにある絵は。
すべて額縁が外れている。それでも、この絵を綺麗だと思う私の気持ちは変わらない。色眼鏡ではない、はっきりと分かる。

「君がここに来るのを、待っていました」
画家の口から、真実が零れた。

lalalacco
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「しかしまさか、この9月14日に来てくださるなんて」
老人は黒の服からハンカチを取り出して、目元を拭う。ふと、どこかで嗅いだような煙たい匂いがした。
彼が感想を尋ねる。この頃には、私はすっかり理解していた。言葉を額縁で飾りつける。
「綺麗な、女性、ですね」
「……ええ、ええ。本当に」
老人は顔を皺だらけにして、深く頷いた。
涙を背に、月光を眺める。それは仄暗い夜と、あるがままの美しさの混在だった。

続木
- 完 -

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