こんな時間だから、そろそろ寝ようよ。 女は甘ったるい口調で俺に話しかける。 「うるせぇ」 女はいい続ける。 こんな時間だから、もう少し休んでいきなよ。こんな時間だから。こんな時間だから。 何度も繰り返す。それはまるでロボットで、そうプログラムされたかのように。 こんな時間だから。 俺は拳銃をとりだすと、女の唇に構えた。 拳銃を見ても驚かず、まだ何かを呟いている。 俺は女を、撃ち抜いた。
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いつからだったか、俺の目には、女の顔がのっぺらぼうのように映るようになっていた。 本当に顔のパーツが見えない、という訳ではない。 ただ、悩ましげな表情を作る眉、こちらを見上げる潤んだ瞳、上気する頬、僅かに膨んだ鼻、時折舌を覗かせる唇、それらはどの女も同じで、次第に違いが分からなくなり、存在しないも同然に思えた。 亡骸をその場に残し、俺は静かに車を走らせた。
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被害者に手を合わせていた老刑事は立ち上がると、部屋を見回した。 小さなアパートの一室、ひとり暮らしの女、そしていずれも顔面をピストルで撃ち抜かれている。 このところ二件続けて発生した事件と似ている。 変質者の犯行か? しかしそれにしては被害者のタイプに共通するものがない。 連中には大抵髪が長いとか太っているとか、それぞれ好みのタイプがある。 落ちついて考えろ。 刑事は自分にいい聞かせた。
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「君はこの事件をどう見る?」 刑事は後輩に問いかける。 「僕は...ある友人を思い出しました。」 「友人?」 「はい。僕こイケメンの友人が言ってたんですよ。"どの女の顔も同じに見えるし、甘い声で囁かれて、潤んだ瞳を見せられてもなんとも思わない。むしろイライラして殴りたくなる"って。だから僕、犯人は相当なイケメンだと思います!」 黒縁メガネを押し上げてドヤ顔の後輩。 先が思いやられる...
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女は半裸だ。男を誘おうと自ら服を脱ごうとした。しかし男はそれに乗らず顔面を撃っている。 「おかしいですね。至近距離で顔面撃ったなら返り血を浴びてるはずです。誰も不審者を見ていません」 別の刑事が報告してきた。 「今、この付近のカメラを調べさせています」 返り血は浴びてない。飛び散った血飛沫を見ればわかる。謎が多すぎる。 犯人は生身の人間かも怪しくなる。
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警告灯の赤い光が目の隅で揺れていた。女のアパートに警察が来たらしい。 別に平気だ。女と俺をつなぐものは一切ない。 俺は車を走らせた。だが幾ら進んでも、回転する赤は遠ざからなかった。 一体、何故── こんな時間だから、よ。 外になんかいてはいけないの。ちゃんと眠らなくちゃ。 のっぺらぼうの女の声が頭の中で響いた。存在しない女の声だ。 ああ、煩い。 存在しないものなら、破壊しても構わないはずだ。
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「弾はRWS マッチ。射撃用のエアライフルです。正規の手続きで入手したと思われます」 検証が進む現場を見つめ、報告する部下に刑事は訊ねた。 「君、先程『女の顔が同じに見える』と言ったね?」 「はあ。でも正規の銃所持者なら署に住所が載ってるから時間の問題…どこ行くのですか」 「以前精神病患者が看護師の顔を剝ごうとした事件がある。そいつが退院して、今でも銃を所持しているとしたら?」
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至近距離から撃ち抜かれた女。凶器はライフル。女は情事の寸前だった。 この銃身のデカさだ。男は女に言い寄られながら、どうやって銃を取り出した? 犯人は、一人じゃない。 女から誘いを受けていた男と、銃の引き金を引いた人間は別人。被害者以外に、2人の人間がいたのだ。 「その必要はない」 病院に連絡を取ろうとしていた部下を老刑事は制止し、端正なその顔を見た。 「言え。その友人のためにやったのか?」
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部下は薄く笑み答えた。 「なわけないでしょう」と。 取調室にて刑事は男に告げた。 「あんたはもう解放された。もう女の霊はいやしない」 それでも男はレプリカの銃を握り目を虚ろに顔を振る。 「いえまだいます。のっぺらぼうがまだいます。そこにもここにも至る所に」 元部下の思惑は成功したのか。 恋人だった看護師の顔を奪ったこの男を闇に堕とし、自らの手も血に染めて。 老刑事にはわからなかった。
- 完 -