王国の危機を救った俺は、その後王になることができたわけでもなく、怪物がいなくなった世界では需要がなくなりただの失業者になった。 身分制度は飛龍の何倍も強敵で、魔王の何十倍も恨めしかった。 行くあてもなく、俺は歩いた。 気がつくと、冒険開始直後に俺が制圧したゴブリンの集落に辿り着いていた。 人々の町を荒らし回っていた奴等だったから、きつくお灸を据えたのを覚えている。 奴等は俺を恨んでいるだろうか。
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緑色のゴブリンが行き交うこの場所では、人間は嫌でも目立つ。たとえフードをかぶっていてもだ。 「あんたはこの間の…」 早速声をかけられた。しかもこちらのことを知っているようだった。厄介なことになりそうだ。が─ 「行き場がないのかい?とりあえず、うちに来んさい」 「えっ…」 てっきり復讐されると思っていた俺は拍子抜けてしまった。そういえば、周りを見渡してもあの時のような鋭い目つきのゴブリンはいない。
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とりあえず、ゴブリンの後についていくと、多分こいつの家だろうと思われる、木と木を合わせただけの簡易なテントみたいなものがある。中に入ると案外広く、ゴブリン特有の臭さはなかった。 「あんた、どうしちまったんだ。俺たちを懲らしめた時はあんなに生き生きと、目は爛々と光っていたじゃないか」ゴブリンは身震いした。 「あれは恐ろしかったなあ、だけど今のあんたには昔のような覇気がないねぇ」
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それはそうだろう。誰だって“勇者”なんて肩書を背負っていれば目が輝く。今はその肩書もおろし、何者でもない。存在価値を見出せないただの“若者”なのだ。 「我々の方とて暮らし向きはアレコレ変わったがね。今となっちゃ、それはそれで良かったと思ってる。真っ当な暮らしを送るキッカケをくれた」 そりゃあ、強奪程楽じゃあないが。 ゴブリンは無害そうな緑の顔で、カラカラと笑った。 真っ当な暮らし。
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その言葉が頭の中をめぐる。 ゴブリンは穏やかで、優しくて。丁寧に掃除された部屋を見ると、何故か気まずい気分になった。 そして気付いた。俺は期待していたのだ。復讐を受けることを。闘いをする理由を得ることを。 ゴブリンたちの本質は変わっていない。そう思っていた。というのも、俺自身が何も変わっていなかったのだ。 真っ当な暮らし。 それを俺は知らない。ゴブリンは教えてくれるのだろうか。
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ここは素直に、正直な言葉で頼むのが一番だろう。 「その真っ当な暮らしというものを俺も経験してみたい。ここで、それを体験させてくれないか?」 ゴブリンは少し考えていたが「ああ。いいよ」と応じてくれた。 「では、まず手始めとして、テーブルの上を片付けるのを手伝ってくれ」 と言われ、俺は茶器やらお皿やらを水桶場まで運んだ。 そこにいたゴブリンの奥さんと一緒に食器を洗い、ゴブリンの子供達とも遊んだ。
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それは今までに感じたことのない幸福感を俺に与えてくれた。 闘いに明け暮れた俺は、例えば花を愛でるような気持ちさえ忘れてしまっていたらしい。誰かと親しくなること。純粋に子供たちを愛すること。それは種族の間に隔たりなどなかった。 「教えてくれてありがとう」 「アンタがそういうなら俺たちもマシになったってことさ」 立派なゴブリンもいるんだ。 旅の途中に傷つけたゴブリンの名誉を回復させると、俺は誓った。
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それから俺は今までに魔王討伐で訪れた各地を巡ることにした。魔王時代の前と後で、生活が変わった人や元敵にたくさん会った。 「勇者の冒険譚がお代だよ」 なんて気さくに笑う街の人々を見て、 「あんたのお陰で今がある」 なんて照れくさそうにする元敵を見て、俺が勇者だった意味をやっと見出せた気がした。 もちろんいつもタダ飯ではいられないので、時々旅の思い出やそれからの出会いを冒険雑誌に寄せている。
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長い旅路の中で、幾度となく悩んできた「本当の平和」。人間が勝手に掲げた正義を貫き悪を滅ぼす。それはただのエゴに過ぎず、魔王を討伐した後でさえも後悔の念に駆られた。 だが、ようやく分かった。 こうしてお互いが歩み寄り、理解し合おうと試みる事こそが平和への第一歩だった。 俺は勇者。 今日も平和のために家事を手伝う。
- 完 -