後輩のあんぱんを食べてしまった。 バドミントン部の部室にあった、袋入りのあんぱん。勢いのまま食べてから、袋に名前が書いてあることに気がついた。 完全に魔が差した。ほぼ毎日の昼休み、あの忌々しいカラスのやつにあんぱんを取られてしまうから、私はずっとあんぱんに飢えて飢えて仕方なかったのだ。 でも、それは言い訳に過ぎない。間違いではないけども。 「成瀬先輩、私のあんぱん知りませーん?」 ……あっ。
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「先輩……?」 部室に現れたあんぱんの正当な持ち主・飯島さんは、空っぽの袋を手に佇む私を見てピタリ、と動きを止めた。 もうダメだ。口元もあんぱんまみれだし絶対に言い訳できない。 「食べたんですか……?」 こくり、と頷く。 ──ああ、グッバイ信頼。 「ど、どうでしたか!?」 しかし返ってきたのは罵声ではなくそんな台詞だった。 「お、美味しかった……よ?」 「本当ですか!?」 飯島さんの瞳が輝く。
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「ごめん…勝手に食べちゃって…」 私はとりあえず平謝りしたが、飯島さんは目を輝かせながら顔を近づけて来た。 「そんな事気にしないで下さい!実はこのあんぱん、私が作ったんですけど、自信なかったんですよ!」 「えっ?これ、飯島さんが作ったの⁉︎」 私が尋ねると、飯島さんはコクンと頷いた。 「よし!これで『あの人』を頷かせてやるわ!」 「あの人?」 「通称『あんぱん女史』こと、八田美那穂さんです!」
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さも有名人に会うかのように、飯島さんは気合を込めて両の拳を握ってみせる。あんぱん女史…? 「えっと、八田さんって誰?」 餡とパン屑にまみれた口で言うのもなんだが、私はその人を知らなかった。 聞けばウチの生徒ではなく隣の高校の二年生だという。ちなみに文芸部の副部長。飯島さん曰く、私とは気が合いそうだとか。 「先輩も明日の学園祭いきましょうよ!私、このあんぱんで女史のお墨付きを貰いたいんです」
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「ダメね、全くなってない。これはアンパンではないわ。パンに餡を詰めただけの何かだわ」 一蹴だった。 あんぱん女史こと八田さんは、ことアンパンに関しては決して妥協を許さず、それはわざわざ自分の学校までアンパンを作って持ってきてくれる可愛い後輩も例外ではなかった。 「ちょっと・・・そんな言い方しなくてもいいだろ」 少しムカついた。 飯島さんの頑張りを否定されているようで腹が立った。
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「飯島さん帰りましょう」 私は飯島さんの袖を掴んだ。けれど、この後輩は簡単には引き下がらなかった。 「原因を教えて下さい」 「冷蔵庫で冷やして固めたあんこを使ったわね」 「さすが女史です。見抜かれるとは思いませんでした。焼き上がったとき、生地の中央にあんこがくるようにするにはこれしかなかったのです」 「その方法を使わず作れるよう精進なさい」 「ありがとうございます!」 飯島さんは丁寧にお辞儀した。
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「それとあなた」 「は、はい?」 急に呼びかけられ思わず声が上ずる。 「あなた、いつもあんぱんを食べ損ねているでしょう。そうね…原因は獣…いや、カラスってところかしら」 「な、なぜそれを…」 「あなたの中にあるあんぱんに対する想いがね、歪なの。その歪さは時に動物を悲しませることにまでなるのよ。分かるかしら?」 な、何を言ってるんだ…。 「すごいです!先輩、やっぱり八田女史はすごい!」
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私達が八田女史の元を後にし、電車に乗って最寄り駅に着いた時には、もう辺りは夕焼けで赤く染まっていた。足元には、長く伸びた影が二つ。 「成瀬先輩…今日はありがとうございました」 「いや、私は何もしてないよ…。それより飯島さん、また渾身のあんぱんを作ったら八田女史の所へ持っていくの?」 「ええ、勿論です。八田女史のお墨付きを貰えるまで、私は諦めませんから」 「それならさ、一つお願いがあるんだけど……」
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「味見してもいい?」 飯島さんは目をしばたくと、真剣な顔になった。 「いいですけど、先輩はまず歪な想いを正してください!あんぱんの為に学校で暴れるのはやっぱり良くないですよ」 私が苦笑すると、飯島さんは真剣な顔を崩して笑った。つられて私も笑った。 夕焼けの中、なんだかとても穏やかな気分になった。今ならカラスのことも許せそうだ。 この後、私までも女史の元に通うことになるのだが、それはまた別の話…
- 完 -