novelnove

鷹屋の蕎麦は不味かった。

蕎麦屋がある。鷹屋という変わった名前だ。

近所では駄蕎麦で有名で不味い。コンビニの蕎麦の方が幾分美味い

店主の態度も不味い。いらっしゃい。は言わず、先ず、「注文何?」と不機嫌そうに言う。すこぶる美人なので許されている。

何より、目つきが不味い。近所の子供には鷹の姉ちゃんと呼ばれている。店名からでは無くて、猛禽類みたいな目つきせいだ。睨まれた男は大抵恋をする。そして常連になる

僕もその一人。

朗らか
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あぁ、やっぱり不味い。
と今日も眉間にシワが寄りそうなのを我慢して、ぶつぶつ切れる蕎麦を口に運んでいると、ガラガラと音がして男が一人入ってきた。
三十、四十程のこの辺りでは見かけない厳つい風貌。暴力を振るいそうな感じではないが、怒らせると不味そうだ。
だが店主はいつもの不味い顔で「注文は」と聞く。
男は「ざる」と言った。
僕は絶望する。
ただでさえ不味い蕎麦をザルで頼んだりしたら、救いようがない。

イト
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「うちのざるは、不味いよ」
鷹の目を光らせ店主が言った。なお不味いことにはこの店主、自分に蕎麦打ちの腕がないと自覚しているのだ。
「構わない」
厳つい男は静かに席に着く。
店主が厨房の奥に消えたのを見届けて、僕はそっと彼に話しかけた。
「あの、時間大丈夫ですか?ここ、無駄に時間かかりますよ」
彼は予想外の柔和な笑みを浮かべ、心配ないと言った。そして、付け加える。
「煙草、いいかい?」
僕は頷いた。

ちょもらんま
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伝わる炎がちりちりと紙を焦がす。男は吸いつくように煙草を啣えた。へへ、と口元だけで笑う姿に、なんとも旨そうに吸う奴だと思った。
店内には煙がたちこめ、香りだけはまだマシだった駄蕎麦の持ち味をすっかり損なわせてしまっていた。

お冷やを持って店主が来る。
「煙草なんて吸うと舌が鈍くなるぞ」
「不味い蕎麦を食うにはこれが一番さ」
挑発して舐めきった態度に、店主は口も聞かず奥へ引っ込んだ。これはまずい。

aoto
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灰皿なんか置いて文句言うもんじゃねぇな。

ふぅーと吐き出した煙と文句に、店主の舌打ちが返ってきた。

険悪な雰囲気に、不味い蕎麦のせいで、いっこうに箸がすすまないが、できることならすぐにでも店を出たい。

僕の蕎麦がようやく終わりかけたころ、女店主は男の席に蕎麦を持ってきた。
それだけでなく、そのまま向かいに店主がちょんと座っている。あんな鋭い目線をむけられて食べる蕎麦はたまったもんじゃない。

H A
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男は蕎麦を一口啜ると、箸と蕎麦猪口を持っていた両手を下ろし、溜息を一つ付いた。

「…確かに不味いな」
「まあね。蕎麦もつゆも適当に作ったからね」
「…成程」
店主は僕が食べているのもお構いなしに、平然と不味い理由を暴露していた。

「…まだ考えは変わらないのかい?」
「…ああ。お前こそ、この店閉める気は無いのか?」
「少なくとも、誰かさんが帰って来る迄はね」

え?まさかこの二人…。

hyper
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味の不味さとは違う理由で僕の箸が止まる。妙に気を使う店内で両者を見た。

「…この駄蕎麦、お前の母さんの味そっくりだな」
「だろうね。不味さで評判の店になればアンタが帰って来るだろうって、鷹子さんが言うから」
鷹子さん──その名前が会話に投じられた時、僕は薄れた記憶から昔この店で『鷹のお袋』と呼ばれていた美人女将を思い出した。

当時この店が出す料理と態度は不味くなかったのだ。手打ち蕎麦以外は。

おやぶん
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鷹子さんは鷹屋の元従業員で、妻を亡くした店主の再婚相手だった。でも一人娘とは上手く行っていないと聞いた。そうだ、一人娘…美人だけど不機嫌そうな少女がいた。
鷹子さんは店を何とか立て直したけれど、前妻が腕を振るっていた手打ち蕎麦だけはなかなか再現出来なかった。やっと近付いたのは、一人娘の結婚相手が蕎麦を打つようになってからだ。

でも、その相手は急に失踪、鷹子さんもその後亡くなった。詳細は知らない。

haduki
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まずっ…、とは言いながらも男は箸を止めようとはしなかった。
「不味いのはわかってる。完食しなくても…。」
「…なった。」
「…へ?」
「俺、暇つぶしに蕎麦育ててたから"本当に美味しい蕎麦屋"、継げるようになったんじゃね?」
「……は?」
「もう一度結婚しよう。"鷹の姉ちゃん"」

…まさか、やはり、そうか。と僕は2人を眺めながら自分の何故か上気した頬を叩き…
ごちそうさま、と席を立った。

城月
- 完 -