梅雨喚ばわる客

梅雨の間というのは、とにかく気怠い。 ぼんわりと蒸す日には、身体に熱がこもって仕方が無い。掌が妙に熱くなって、自分に触れるのも嫌になる。 私はのろのろ身体を引きずりながら、縁側に這い出た。湿気で身体が重い。板張りの床にぺったり頬をつけると、ひやりと一瞬だけ気持ちいい。ああ、何もやる気が起きない。 ぬるい風が吹いて、軒にさげた風鈴を鳴らした。それに紛れて、足音がする。 招かれざる客が来たらしい。

みかよ

11年前

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「みゃあ」 この蒸し暑い日に毛皮を着た三毛猫。 野良猫のミーだ。 暑過ぎて溶けそうで、息をするのもけったるい時にミーはスリスリ、、、 暑い。暑すぎる。 汗ばんだ肌に毛が付いて不快。 「だあああぁあ!暑いんだよこの!」

korori

11年前

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背後で笑い声がした。 見なくても、誰なのかはわかっていた。 「勝手に人の家に上がり込まないで欲しいね」 振り向かないままいう。相手はまた笑った。 「いいだろ。どうせ野良猫と遊ぶくらい暇なんだ」 「暇かどうかは、問題じゃない」 ミーが私から離れ、客へと向かった。 「おまえは俺を歓迎するか。いい子だ」 撫でられているらしい。ごろごろと喉を鳴らす。 私は溜息をついた。 こいつはいつも、こんな日に現れる。

misato

10年前

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「今日は何の話をすればいいんだ?」 のっそりと起き上がりながら私は聞いた。それが毎年の私の役割だから。 「そうだな…冬の話とできれば私が来る前までの話を頼む」 思いがけない頼みと言葉の雰囲気に思わず私は振り向いた。 「やけに急ぐな…何かあったのか?」 相手は寂しげな笑顔で答えた。 「そろそろお別れだ…最近は空梅雨が流行りらしい」 そう言うと同時に、気怠さを洗い流すような雨音が聞こえてきた。

雨音雅詩

10年前

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この男とは、この貸家に越してきて以来の付き合いだ。 亡くなった前の住人とも親しかったようで、ミーとの付き合いは私より長い。 梅雨の間だけ、この辺りで商売をしているとの事だが詳しくは知らない。大方、雨具の修理屋か何かなのだろう。 この町の話を聞きたがるのも商売柄かもしれない。 「そういや裏の婆ちゃんな」 「どうした」 「とうとう寝たきりになっちまったよ。梅雨に入って痛風を悪くしたみたいでね」

hayasuite

10年前

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こいつは妙に切なげに顔を歪める。そう、まるで婆ちゃんが寝たきりになったのは自分のせいだと言わんばかりに。 「しょうがない、婆ちゃんもだいぶ年なんだから。寝たきりでも元気ならいいじゃないか」 「そうか」 柄にもなく慰めの言葉を繕う気になったのは、蒸した空気を一息で鎮めた通り雨のせいだろう。 「……今年の冬はよく冷えた。このへんでも珍しく雪が積もったんだ。辺りが一面真っ白になって、歩くのに難儀したよ」

lalalacco

10年前

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「そうか。子供達は喜んだろう」 男の唇がゆるく弧を描いた。頬を緩めているようで、少し切なそうな横顔である。 「いつだって子供は元気だよ。梅雨の時期でも傘をくるくる回してさ、楽しそうにしてる」 お前だって知ってるだろう、と促せば、男は少し驚いた様に瞠目した。 「そんなもんか」 「そんなもんだ」 思えばこいつは梅雨のような男だ。 陰気くさい黒髪に暑そうな羽織を着て、うちに上がり込んで来る。

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長居すればしつこく、話していると外へ出る気力さえ奪って、無為な一日を過ごすことになる。おまけに雨さえ連れてくることもあるのだから、化身か何かかと尋ねたくなるほどである。 「子供というのは何にでも楽しみを見つけられるものだな」 「我々も見習わなければいけないものさ。ただね、子供に劣らず、私だって梅雨の楽しみ方を知っているよ」 「ほう、それは興味深い」 男を促した庭先には紫陽花が咲いている。

aoto

6年前

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客人は今気づいたと言う顔で、こっちは小ぶりで愛らしい、とか、これは色合いが絶妙だ、とか感心して見せた。 「引き篭もる口実ができて読書も捗る」 何なら貸してやっても良い。話を聞くのは好きだろう。 「じゃあ、長雨も悪くないと」 「それが自然だ。文句は言うがね」 それより早く撫でろとミーが催促する。涼やかな雨音に負けじと張り合って。 「全く暑苦しい」 やはり私は文句を垂れた。 それが自然であったから。

- 完 -