イロドリ文庫

何気なく、何と無く。 図書館に寄ってみた。 久々に本に囲まれる。 不思議な感覚。本に存在を肯定された訳では無いが、否定された訳でも無い。 本が佇んで、誰かに読まれるのを待っている。 そこまで考えて、少し笑った。 まるで本が人間みたいだ。 「どうしたんです?」 「っ、っえ」 「あ、貴女が笑っていたので」 驚きすぎて喉元がつかえた。 黒縁眼鏡を掛けた、如何にもといった草食系男子が戸惑っていた。

Nitro.

12年前

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突然、目の前に現れた文学青年ふうの彼。ひょっとして本の精霊──な、わけはない。 胸元に名札が揺れていた。司書、と書いてあった。 黒縁眼鏡といい、物静かな雰囲気といい、なかなか好みのタイプだ。なのに一人で笑っているところを見られたらしい。俄かに恥ずかしくなって下を向いてしまった。 「すみません」 消え入るような声で謝る。 「え、いえ、謝るようなことでは」 彼も彼で、相変わらず狼狽えた顔だ。

misato

10年前

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「な、何かお探しですか?」 気まずい沈黙の後、彼は思いついたように尋ねた。 司書である彼は、妥当な繋ぎを見つけて安心したようだ。しかし、私は更に困ったことになる。 なんと答えて良いかわからない。結局、本当の事を言ってしまった。 「いえ、ただ、なんとなく本のある所に来たくて、それで・・・」 彼は一瞬驚いたような顔をしたが、その顔はすぐ優しい笑顔に変わった。 「分かります。本って、不思議ですよね。」

と り

10年前

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「僕たちを包み込んでくれるみたいな感じがしますよね。本は心を持っているわけじゃないのに。あ、分かった、貴女それで笑っていたんですね」 彼の言うことはまさに図星。分かり合えたことが嬉しいような、当てられて恥ずかしいようなで私はまた俯いてしまった。 「あ、でもそれじゃ、僕邪魔ですよね、すいません」 「え、あ、そんなこと、」 彼はそそくさと去ってしまった。 彼なら、多分、邪魔じゃなかったと思うのに。

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辺りは再び静穏となった。どことなく寂しさを感じつつも、何の気なしに本棚に目を向けていく。 真新しい本に、変色して古びた本。 文学、哲学、歴史、科学、生物、芸術……。 知識を与えるだけでなく、感動、安らぎ、恐怖、困惑、様々な感情を引き起こす。 私たちの人生に彩りを添える、多種多様な、本という存在。 やっぱり人間みたいじゃない。 また少し笑った。 --と、視線を感じた。

hoisa

8年前

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「あの」 遠慮がちな声に振り向くと、先程の青年司書が棚からひょっこり顔を出した。 「もし良かったら、これ」 手渡された本は真四角で大きく、その割に薄い。 「絵本、ですか」 画風はリアルで静謐なイメージだ。 「はい、ですけど大人向けというか、アルバム的というか……。先程ただ本のある所にいたかったと仰っていたので、ぴったりかと」 本には人生が詰まっていると思わされますよ、彼は照れたように笑った。

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「本には人生が…。素敵な言葉ですね」 本の中には人生が詰まっている。それと同じように、本自身にも色々な人生があるのだろうか。 渡された本を見て、ふと考える。 いろんな人々の手に渡り、読まれて、次はどんな人が手に取るだろうかと静かに本棚の中にその身をひそめて。 そう考えると、この絵本も、とても愛おしい存在のように感じた。 「……そんなふうに思ってもらえると、本も喜びます」

Lillian.

8年前

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「本当に本のことがお好きなんですね」 彼は照れたように恐縮し、司書になったのもそのためです、と答えた。 きっと、この青年はいくつもの本の人生を見送ってきたのかもしれない。まるで我が子のように。 「では、お兄さんのおすすめのこの本借りさせてください。返しに来たとき、またおすすめしてくださいませんか?」 ぱああっと頬を紅潮させ、彼はお任せください、と言った。 私は来てよかったな、と感じていた。

aoto

7年前

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彼に借りた絵本は、ページを繰る度、精緻に描かれた絵が現れる。 あるページは薄暗く重く悲しく、またあるページは思わず笑みが溢れるほど明るく軽やかに…1ページ毎に、心を捉えて離さない。 ただ、悲しいのは、私がこの感動を彼に伝える言葉を持っていないことだ。 週末、また図書館に行こう。 また彼に会える。 そして、いつかきっと、あのたくさんの本の中で、私の気持ちを伝える言葉に出会える。

- 完 -