出張時はラブホテルに泊まる。 別に変な意味はない。ただココは部屋が広いし、風呂が広いし、ベッドも広い。大画面のテレビだって見放題だ。それで値段は安いのだから、居心地のいい場所を選ぶのが合理的だ。 たまに違う部屋から声が聞こえるが、バリバリのビジネスマンである私はそんなものに何の興味もない。 ある日私がいつものように聴診器と集音マイクで隣の部屋の様子を聞いていると、妙な物音が聞こえてきた。
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ゴッ! 鈍器のような固いもので、何かを殴った音だった。そしてすぐ後に何かがベッドに倒れる音、何者かが急いで部屋を飛び出す音。 どうやらこの聴診器と集音マイクの性能は優れているらしい。一連の音を聞き終えた私は、自分のベッドへと戻ると一旦そこに腰掛け、先ほど聞いた音について考えてみることにした。
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ファンファンファンファン… 「貴方が通報された……そんなにはっきりと聞こえましたか」 「ええ、まあ」 考えた結果、私は結局ロビーへ降り直接に事の次第を説明した。一部、除いて。 「この壁を隔ててそこまではっきりと衝撃音が聞こえたとなると……凶器は別物だろうな。害者の様子から見てもそんなに大きな凶器とは思えないが……」 「壁は結構薄いんじゃないですかね……」 モゴモゴと言い訳がましく呟く。
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「そうですか...では少し事情聴取してもいいでしょうか。あぁ、オーナーさん、隣のお部屋お借りしますね。」 「えっ、あ」 隣、まぁ、私が借りた部屋だったりする。 警察官と私。場所はラブホテル。これだけ聞くと、間違った人が間違った考えにいたりそうだ。 「お名前はと年齢は?」 「杉崎 幸之助、年は34ですね」 「なぜ、この.....ホテルに?ひとりですか?」 質問は淡々と続けられていった。
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どうやら疑われているようだ。そりゃそうだ、バリバリのビジネスマンであるはずなのに一人でラブホ。しかも隣の物音を鮮明に知っている。 「本当に壁越しに聞こえたんですか?」 「え?えぇ、壁越しに」 「目の前で聞いたんじゃないですか?」 「ち、ち、違いますよ!この部屋で壁に聴診器を、あ、いえ、違う、違うんです。その〜、なんか音がしたのでたまたま持ってた聴診器を使っただけで。隣の男なんか」 「男、ですか」
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私は警察の言葉の吐息に妙な引っかかりを覚えた。 男。 確認するまでもない。私が耳を研ぎ澄ませて聞いたあの声の中には低い声が混じっていた。性別をいじくりまわしている人間でない限り、あれは間違いなく男の声だった。 「まさか、男なんていなかったなんて言いませんよね。私の技術はかんぺ…いえ、聴診器というものはなかなか高性能なものでして、目の前にいなくたって、声だけであの部屋に男がいることくらい…え?」
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ちょっと待て。思い出せ。聴こえてたのは…男の声。俺は女の声を聴いたか? 「被害者って女性のほうなんですよね?」 「男性ですよ」 え?って事は犯人の方が女? いや、違う。 違う! 「お巡りさん、男です!私が聴いたのは男と男の声でした。てっきり、場所が場所なだけに男女だと思い込んでた!」 しかし、警官は私に背を向けあの壁を繁々と眺め何も言わない。返事くらいし… … 私の耳の中で警官の声が反響し始めた。
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この、声… 聞いたことがある。というか、犯人の声にゃく似ている… そういえば、最初から少しおかしいと感じていた。来た刑事は彼一人。殺人が起きたとなれば、もっと多くの警察関係者がきているはずだ。事情聴取だって、こんなところでしなくてもいいじゃないか。 顔から血の気が引いて行くのを感じた。 「まさか、隣で聴診器を使って盗み聞きしてるヤツがいるとは思わなかったな。そうでしょう?」 彼の手には拳銃が…
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彼に、抱かれる。 彼がシャワーを浴びている間、私は緊張と嬉しさに包まれていた。 しかしその感情を打ち砕くように、突如破裂音が響いた。どうやら隣の部屋から聞こえたようだ。 少し気になった私は、バスルームにいる彼に「ジュース買ってくる」と伝え、部屋から出た。 そして、隣の部屋のドアの前に立ち、ドアをノックした。
- 完 -