水曜の彼

あなたの声に恋をした。 お昼の放送の水曜担当。 友達とのたわいもない話に笑い転げていた私の耳にすっと入ってきた声。 月曜担当の元気出せっていう感じとも違う。 火曜担当の趣味に走った独りよがりとも違う。 木曜担当のクラシックばかりのお堅い雰囲気とも違う。 金曜担当のお気楽ムードでもない。 水曜の彼が選ぶ歌は、色に溢れて私をここではない場所に連れて行くようで。 案内人の彼の声は深く私に響いた。

makino

12年前

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教室にいるはずなのに、私は水曜の彼と二人きりの喫茶店にいるようだった。 音楽を聴いたり、彼の話を真正面から受け止めたり。 すぐそこにはいないはずの彼が目の前にいるようで、私はひどく緊張した。 喫茶店の喧騒のなかでも、彼は声を自在に操り、魅了させた。 毎週水曜日、私は会ったことがない彼とシンクロしているのだと、根拠もなくそう感じで心待ちにしていた。

12年前

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「実は、僕の放送は今日で最後になります」 突然、聞こえてきたその言葉に、一切の物音が遮断された。 最後? 転校でもするのだろうか? それとも、何か理由があるのだろうか? グルグル巡る思考と、それを無視して私を呼び掛ける友達の声。 やけに心臓がうるさい。 会わなくちゃ! 会ってどうしよう、とかそんなの後回しで私は水曜の彼に会う事しか考えられなくなり、勢い良く教室を飛び出した。

Calc.

12年前

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私は、友達が驚いて叫ぶ声も聞こえないくらい夢中で走った。 これまでにないくらいの速さで階段をかけのぼり、廊下を歩く人にぶつかりそうになりながら必死で走った。 おかげで水曜の彼がいる放送室にたどり着いた時には汗だくになっていた。 私は息を整える暇もなく、勢いよくドアを開けた。 「あのっ‼︎」

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驚いた顔でこちらを見る男子生徒。どこかで会ったことがあるようなないような、それでもすぐにわかった。あの人が水曜の彼だ。 「ずっと、水曜の放送が楽しみでした。あなたの選ぶ音楽も、あなたの話も、全部全部、大好きでした…!」 途切れそうになる息を振り絞り、それだけ一気に言い切った。膝からその場にへたり込む。 ところが彼の慌てた様子を見て、すぐに私は気付いた。 今の言葉が、全校に放送されてしまった…!

lalalacco

11年前

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彼は放送機器の電源を落とすと、苦笑いして言った。 「あはは。僕の放送をそんなに楽しみにしてくれている人がいたなんて嬉しいよ。しかもこんなに可愛い子が」 「か、可愛いだなんてそんな…」 全校に聞かれてしまったことと可愛いと言われたせいで私の顔は多分熟れたりんごかトマトのようになっていただろう。 「でもごめん。今日で最後なんだ」 どうして、と聞いてしまった。 聞かなければ幸せだったのに。

山葵

11年前

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「留学するんだ」 聞いてしまうと、膝から力が抜けた。 一気に感情の栓が緩んで、目の前が潤む。熱を持つ頬に、無意識のうちに冷たい涙が落ちた。 「ああ…泣かないで。君の名前は?」 私は学年と名前を機械的に答える。 彼は少し微笑むと、いつもの落ち着いた声で、私に告げた。 「留学、一年して帰ってきたら、僕は高2をやり直すんだ。…その時は、君と同じ学年になるよ」 水曜日。 心に染み込む、彼の声。

11年前

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それから。 声が聞けなくなって、ちょうど1年が経った。 春の日、「放送委員」に手を挙げてから半年。綺麗なわけではないが、ゆっくりと話す事で好評になってきた水曜日。 今日も今日とて、読み上げる原稿を見ながら放送室へと歩を進める。 「皆さんこんにちは」 頭の芯が、痺れる。 聞こえるはずのない彼の声が、唐突に耳へ流れ込む。

コノハ

11年前

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この声を覚えてる。待ち望んでいた存在に胸がいっぱいになって、言葉にならない。 私は放送室の外で静かに耳を傾けた。去年とやっていることは変わらない。けれど、もう私と彼は顔を知っている。同じ放送委員にもなった。あと少しでいい。あなたに踏み込みたい。 放送が終わって放送室に入る。彼はやっぱりねと苦笑した。 「君なら来ると思ってた」 「お帰りなさい」 「君のその言葉が何より嬉しい」 彼は微笑んだ。

- 完 -