昼休みのセイレーン

「歌っていい?」 「……どうぞ?」 またこの娘か。昼休み中盤になれば現れ『歌っていいか』とだけ問う。 毎日毎日、飽きもせず。今日で何日目になるだろうか…… 「♪ー」 曲目は聞いたことのない歌ばかりだったが何故かその時々の僕の気分によく合ってるものだった。 誰も居ない屋上を占拠していたのに。と嫌気がさしたのは最初だけだった。 存外澄んだ綺麗な歌声をBGMに僕は本の続きのページをめくった。

11年前

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ページを捲る手が彼女の歌の切れ目にあわせるようになったのは、初めて彼女の歌を聞き始めて二ヶ月くらい経った曇り空の昼休みだった。 聞いたことのない歌ばかりなのに、どこで終わるのかが、彼女の抑揚の付け方でわかってきた。 「本が進まなくなってる」 一曲歌い終えた彼女の手が、僕の目を覆う。 冷たい手だ。歌はあたたかいのに。 「聞き惚れてる?」 「まさか……」 彼女の手が僕の頬に触れる。 「赤いよ?」

11年前

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「ちょ、ちょっと熱っぽいんだよ。最近冷えてきたし。」 彼女の手を慌てて振り払い、どこまで読んだか分からない本を開く。 「もう秋だしね、明日から図書室で読もうかな。」 「じゃあ私も図書室で歌う。」 「なんでだよ、図書室じゃ歌ったら怒られるよ。」 彼女は目を細め「んー」と、少し唸った。 それから 「歌っていい?」 「……どうぞ」 彼女はまた何事も無かったように歌い始めた。

hi_lite

11年前

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「ねぇ、もうすぐ授業始まるよ!」 「ん?あれ?寝ちゃってたのか…」 「じゃあまた明日ね!」 そう言って彼女は去って行った。 (どこのクラスの子だろ?) 僕はいつの間にか彼女のことが気になっていた。 放課後、偶然校門のところで彼女が前を歩いていた。 声をかけようとしたが、なんて言えばいいのかわからず結局声をかけれないまま僕は家へと向かった。 次の日目が覚めると外は雨がポツポツと降っていた。

Daiju

11年前

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雨ではどうせ屋上にも行けないし、僕は仕方なく図書室にむかった。 案の定、彼女はまた現れた。 そして、いつものように、 「歌っていい?」 こう問いかけてきた。 「いや………ここ図書室だから………いつもと違って他に人がいるんだよ?」 僕がそう言うと、 「大丈夫よ」 そう言って、彼女は微笑んだ。 「だって、君以外には、私の声なんて聞こえないんだから」

Bullet

11年前

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意味がわからずぽかんとする僕を無視して、彼女は歌い始めた。 窓ガラスを打つ雨のリズムに調和した物憂い旋律。昼休みの図書館には何人かの生徒がいたけど、誰もこちらを見なかった。 妙なやつだと思って無視している、というわけではなさそうだ。カウンターにいる司書も途中で入ってきた古文の教師も、全く何も言わなかったからだ。 「誰も気づいてない」 歌が終わると僕は言った。 「だから、そう言ったでしょ」

misato

11年前

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彼女は歌い続ける。僕の手が止まると彼女は僕の手に触れる。相変わらず冷たい手。 誰も僕と彼女の会話に興味がないように、僕たちは図書館で浮いた存在だった。 「一緒に歌いたいな」 彼女はそう言った後、図書館の一番奥に僕を連れ出した。 「雨止んだよ」と彼女が言う。窓から差し込む光で本棚の影が床に。そしてあるはずの僕の影も、彼女同様になかった。 「僕も、同じ?」 僕の言葉に彼女はふんわり僕を抱きしめた。

10年前

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「私といる時だけね」 彼女がそっと囁く。 「じゃあ、誰かが知らずに君に近づいたら、その人も?」 肩に触れる彼女の顔が、横に振られる。 「私を認めてくれる人だけよ」 「ね、歌っていい?……一緒に」 僕はあまり歌が得意じゃない。けれど、君の冷たい手を握り、僕は口を開け、喉を広げる。 燦然と輝く太陽を見上げ息を吐くと、二人だけの歌が何も知らない図書室に響き渡る。 窓の向こうに、虹が見えた。

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僕は思い出した。昔読んだ本、船乗りの伝説。美しい歌声に聞き惚れ舵を切ることなく岩礁に沈む船の話。それは人ならざる存在。 君の冷たい手は、その証。 「歌、好きだから。聞いてほしかっただけなのよ」 そうだね、知ってる。だから、今からは。 「僕のためだけに、歌ってくれない?」 「ずっと?」 「ずっと」 君は薄く微笑んで、胸を膨らませた。 雨上がりの虹が、影のない僕たちを包む。 彼女が、また歌い始めた。

- 完 -