サボテンを買った。 あの、砂漠に生えている大きく縦長のサボテンだ。 昔からガーデニングの好きだった母に、還暦祝いとしてそのサボテンを贈ったところ非常に喜ばれ、母はそれからと言うものサボテンの世話を新たな生きがいとして日々を過ごしている。 これは、そんな母がサボテンに花を咲かせるまでの苦労とチャレンジの奮闘日誌である。
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「室内環境を故郷に近づけてあげたら喜ぶと思うの」 ある日、母はそう言って大量の粘土を買ってきた。 「どうするの?」 「まあ見てなさい」 母は不敵に笑った。 数日後。 粘土作りのモアイ像が、サボテンの周りを囲っていた。 手のひらサイズ。全部表情が違っているが、どれもコミカルな顔で可愛らしい。 母にこんなセンスがあったなんて。 しかし。 「母さん、砂漠にいるのはスフィンクス...」 「あら」
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「この小さな鉢じゃ可哀想ね。大きな鉢に植え替えてあげましょ」 そう言って母が買ってきたのは白いアンティーク風な猫脚付きのバスタブ。 「そんな大きな物、いったい何処に置くの?」 「もちろんうちで一番日当たりのいい所よ」 母は運んできてくれた運送屋さんに指図して南向きの縁側にそれを設置した。 母がこんな大胆な発想をするなんて。 「これじゃすごくたくさん砂がいるわね」 「そうね…」
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母はいきなりエジプトに行くと言い出し、しばらくして大きなトラックを一台率いて帰ってきた。 「ここ、ここに置いてちょうだい。」 ザザざぁー 我が家の庭に巨大な砂山ができた。 「持ってきたわよ。エジプトの砂」 、、、 「多すぎない?」 バスタブなんなには収まり切らない量だ。 だが、母は笑顔のまま 「あの子が寂しくないように」 パチン!指を鳴らすと 「家族も連れてきたわ」 二台目のトラックがやって来た。
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こうして夫婦(めおと)岩ならぬ、夫婦サボテンが完成。 「こどももいた方がいいわよね〜」 と三台目のトラックを呼びかねない発言をしたので、慌てて考えを改めてもらった。洗濯物が乾かなくなるのは困る。 さて。南に面した縁側に仲良く並んだ夫婦サボテン(とミニモアイ)。バスタブから溢れそうな(というか溢れた)エジプト産の砂丘。 今晩は見事な満月。 「月の〜砂漠を〜」 ……近々ラクダがやってきそう。
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幸いなことにラクダは姿を現さなかった。 箱庭ならぬ〈バスタブ砂漠庭〉はとりあえず一段落ついたのか、砂漠の静けさを保っていた。 サボテンも見た目こそ変わりはしなかったが、新居に慣れたのか夫婦仲睦まじく暮らしている。 と、そんなある日だ。砂に大きな穴が空いていた。 誰かの悪戯かと覗き込むと、ひょっこりと大きな三角耳とツンとした鼻が飛び出した。 「狐だ!」思わず叫ぶと 「フェネックよ」と母が言った。
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「え?何それ?なんでここにいるの?」 とても冷静な母に嫌な予感しかしなかった。 「あら?知らないの?フェネックはね、砂漠に巣穴を掘って暮らすのよ。この子がいたほうがサボテンも故郷を思い出してリラックス出来るかと思って」 いやいやいや!むしろ怯えてないか心配ですけど?!やはり母はどこかおかしい。 しかし、こんな騒がしい環境にも関わらず、サボテンは芽を出し始めているではないか。 信じられない…
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そして翌日。 ついにサボテンの花は開いた。 天辺にちょこんと帽子のような赤い花をかぶっている。 それを私と一緒に眺めていた母は、満足そうに微笑み呟いた。 「…まるで恋の色ね」 は?と聞き返した私に、母はぽっと頬を赤らめた。 「このサボテンのおかげで、お父さんとの色んなこと思い出したわ」 見たくもない母の恋する表情。 その手には、いつの間にか亡き父の写真が…。 そういえばサボテンの花言葉って…。
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枯れない愛。 父を思う母のこの幸せそうな顔を見ていれば、母の今までの破天荒な行いは笑ってすまそうかと思う。 それに花が咲いたし、この行き過ぎたサボテン育成も落ち着くだろう。 「母さん、それは……」 目の前には大きなトラックと沢山の大きな岩がある。 「ピラミッドを作るわよ!」 「なんで?」 「片方のサボテンに花が咲いてないのよ?きっとまだ故郷が恋しいのよ!」 ……母のサボテン奮闘記。続行中。
- 完 -