「貴女の目玉を、歯を、指を、余すことなく全てを瓶に入れて飾りたい。」 その男は私にこう言ったわ。 気色が悪い、そう思うのが当たり前の反応なのかもしれないけれどその時の私は夜はオムライスが食べたいわと言うように" 私 "を瓶に入れて飾りたいと言ったこの男に純粋に興味が湧いたの。 とりあえず私がこのおかしな男に出会った経緯を説明した方がよさそうね。
- 1 -
私は森を歩いていたわ。 でも、童話のような、小鳥のさえずりのする森でなくて、そこは樹海だったの。 そう、察しのいい読者の方はもう分かるわよね。 私は死ぬために、森を歩いていたわ。 手に持っているのはリンゴでもカゴでもない。 ビニール袋に入ったロープだったわ。 私はただひたすらに歩き続けた。 死ぬのが怖かったっていうのもある。 ただ、それ以上に、なぜか森が私に歩いてほしがっているように感じたの。
- 2 -
絶望していたからでしょうね。死ぬ勇気はなかったけど、生きることには疲れていたの。 そんな私を、森は静かに受け入れてくれたわ。樹々が自ら道を譲り、歩くよう勧めてくれたみたいにね。中天の白んだ月が、時折、梢の間から見えるの。あれが黄色に輝く時刻が来ると、一度でいいから夜の帳から引き剥がしてやりたい衝動が芽生えたわ。 そう考えると、男と私は似た者同士だったのかもね。 男は樹海の主だったのよ。
- 3 -
男は樹海の中で長い時間を過ごしていると言ったわ。それも変なものね。樹海なんて、どう考えても住むのに適しているわけはないのだから。 そうして、樹海を彷徨う人間を見つけては、当たり前の顔して瓶詰めにする許可を聞き続けているってわけ。 樹海に彷徨う人間なんて、皆私と同じように生きることに疲れた連中ばかりだから、瓶詰めにしようが構わないだろう、って男は理屈を用いるのよ。 変わっていると思わない?
- 4 -
でも変わっているのは私も同じだったみたい。男にすれば今まで尋ねてきた人は恐れ怯え逃げ惑うんですって。 変な人たち。死のうとしているのに何を恐れることがあるの。 瓶詰めはどうやるの?バラバラに崩して?それともそのまま?もっと違った方法? 詰め寄って聞けば、男は初めて承諾してくれて人だからと私に選択肢をくれたわ。 可笑しな人。死のうとする私に希望なんてあると思うの?1つ希望するなら死ぬ勇気かしら。
- 5 -
「瓶詰めを見るか?安心はするだろうさ」 頷いたら、男は歩き出したわ。道なんて無いように見えた草陰の合間を、縫うように進んでいったの。 苔まみれの小屋…湿った切株の匂いがしたわ。瓶詰めが几帳面に棚に並べられていて。 死んでるというより、時が止まって驚いてるようだった。 右上がぽかりと空いていたの。私が瓶詰めになったら、1㎜の無駄もなくきれいに収まるわ、そう予感させられたの。私の為の空白だった。
- 6 -
男は瓶詰めをひとつひとつ手にとって、その美点を解説してくれた。 そっと瓶を撫でる手。熱をこめて語る男の充血した目。 ぞくぞくしたわ。 瓶詰めになれば、この男にこんな風に愛されるのだ。 これまでろくな愛に出会えなかった私。 ここへきて真実の愛に巡り合えるなんて、私は神に感謝したわ。 もはや死ぬための勇気など必要ではなかった。 私は、男の望む方法で瓶詰めにしてほしいと申し出た。
- 7 -
瓶の中から、男を見つめる私の目。目は、男の方を向いている。外から入る光は、目に直線的に吸い込まれていく。私の小指は、やや内向きで可愛らしい。瓶の水の中でプカプカと浮かんでいる。瓶を撫でる男の息遣い。この男を、知りたい。だって、男は楽しい様子だ。 今夜オムライスが食べたいわ。ケチャップソースはあなたの血ね。肉はあなたの腕。お皿がないわ、即席だけど頭蓋骨はどうかしら。早く砕いて、
- 8 -
均して、とっておきのプレートを作らないと。 また別の瓶に入った私の脳髄が戯れにそんな空想をするけれど、もちろん男はそんなことは考えもせず、ついにピースの嵌った棚を満足そうに眺めては、時折また、愛おしげに瓶を撫でるの。 男は陽の光の敗れた樹海の最奥で、ようやく望む美しさを手にしたように見えたわ。 私、こんなふうになって、初めて知ることができたのよ? 人に愛されるって。 こんなにも安心で、退屈。
- 完 -