血に濡れた椿は首から落つる

『椿絵巻』をご存知? 椿といいますが、花の絵巻では御座いません。 正式には『美女首斬り絵巻』というものです。 江戸一番の浮世絵師だった二十朗は気を違えて、夜な夜な美女の首をはねて廻り、二十朗自身がその様子を描いたのが『美女首斬り絵巻』だそうです。 その残酷かつ美しい見事な絵と、椿の花の首から落ちることから『椿絵巻』と呼ばれているのです。 この『椿絵巻』曰く付きで、嫌な噂の絶えないのです。

朗らか

11年前

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これは私の友人の友人のそのまた友人の遠い親戚が体験したという話でございます。 その御仁の名前は存じませんが、仮に弥七とでもしましょう。その弥七が『椿絵巻』を驚くほど安い値で、なかば押し付けられるように買わされたそうで。そうして手に入れたものの、その妖しくも美しい女に弥七はちゃっかり一目惚れしてしまったのです。 それから毎日のように、時間があるときはずっと、その絵巻物を眺めておったそうな。

夏草 明

11年前

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さて、弥七は見習いの瓦職人だったんで御座いますが、そこの棟梁が弥七の顔が日に日に痩せこけていくのに気付いて問い詰めたので御座います。 すると弥七、薄笑いを浮かべて小指を立てると「コレが寝かせてくれねえんで」などと申しましてね。ついぞ女っ気のなかった弟子の豹変を怪しんだ棟梁は、夜更けに弥七を訪ねたんだそうで。 トントン、トントン。 長屋の戸を叩いても返事がない。棟梁が思い切って戸を開けてみると…

hayayacco

11年前

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ぼぅっ、と灯った薄明かりのもと、老人が一人、腰を丸めて座り込んでいるではありませんか。棟梁は思わず、ひっ、と声をあげてしまいましたが老人は聞こえていないようでぴくりとも動きません。 こりゃ、死んでねぇだろうか、ということで、恐る恐る棟梁は老人のそばまでよって、オン爺、どうした?と声をかけました。 ぬぅっ、と振り返った顔はこりゃ弥七じゃあありませんか。

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おい、弥七、おめぇ、いったいどうしたってんだ、弥七の痩せた肩に着物は緩く、骨の見えるような薄い皮膚の面が昼間より際だっていたのでした。当の弥七といえば、始終上の空で、棟梁が訪れたことにすら気づいている様子はありません。 青白く尖った指で強く握っているのは噂の絵巻物でした。描かれているのは首を切られた美女の姿、弥七の充血した目は絵の中の女に釘付けだったのです。 棟梁は頭を抱えるしかありませんでした。

aoto

11年前

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それから次の日。 困った棟梁はある陰陽師の元を訪ねる事に致しました。 古い小屋の戸をドンドン叩きますと、古びた戸の隙間から大きく目を見開いた人の影。 如何なさいましたか。と細く気味の悪い返事に、少し怖気付きながらも答えます。 弟子の弥七が大変なんでさあ。あんたの力、どうか貸しておくれやしないか。と 瞬間、開かれた目はすっと細くなり、こちらへ、と戸を開けて小屋の中へと棟梁を案内するのでした。

古真記

11年前

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美しいまま散らされた美女の怨みが男の精を吸うのです、と陰陽師は言いました。そして弥七を救うため、棟梁に幾つかの頼み事を致しました。 そして次の夜、棟梁は頼まれた通りに仲間を集め、酒と肴を持って弥七の家を訪れました。物も言わぬ弥七に無理矢理羽織袴を着せて、婚礼の宴だと騒いだので御座います。 夜半、白粉に紅を差し、白無垢をまとって現れたるはなんとあの陰陽師。男とも思えぬ声で、弥七の名を呼びました。

lalalacco

10年前

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「弥七さん、その絵巻を私に下さいな。私が絵巻の女になってみせましょう。あなたとその女を結んで差し上げましょう」 するとついぞ離れることなかった弥七の指が緩み、絵巻が転がり落ちたではありませんか。 陰陽師はさっとそれを拾い上げ、袖の中から呪具を出し今度は野太い男の声で何やら唱え始めたのです。 それはどうやら陰陽師が絵巻に籠った美女の霊を我身に移しているようなのです。 それが弥七にも分かるようでした。

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「弥七さん…」 顔を上げた陰陽師の顔は、絵巻の女の表情そのものではありませんか。 婚礼を祝われた女は至極嬉しそうでありました。そして朝方、すーっと陰陽師から抜けていったのです。 「弥七さん、ありがとう」 綺麗な微笑みを遺して。 それからの弥七はすっかり元通りになったって話ですよ。 ところで、旦那の家の客間に飾られたあの絵、椿絵巻じゃ御座いませんか?

toi

10年前

- 完 -