再訪の町

遠いところまで来てしまったな。 長距離バスの窓から見える田園地帯を眺めながらAはここでの生活を思い出していた。 怖いもの知らずの好奇心、自信で満ち溢れたあの目の輝きは今は見る影もない。 あの頃に僕に戻れるのだろうか。いや、戻らなくてはいけないんだ。 バスはゆっくりと速度を落としながら、小さな街に入っていく。色とりどりに塗装された家々の壁がAの郷愁を誘った。 Aは学生時代をこの街で過ごした。

noname

13年前

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通過地点のこの町では降りる人もまばらだ。運転手はバスから降りると、荷物入れから僕の大きなバッグを手際良く取り出した。 「ボン・ヴォヤージュ!」よい旅を。 ありがとう。僕は日本語でそうつぶやくと、日差しの強さに眼を細めた。 親子連れで賑わうこのあたりはあの頃と何も変わっていない。見つからないのは、初めてこの場所に立った日、手に入れたつもりの自由が嬉しくて駆け出した、その若さだけだった。

13年前

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学生の頃通っていたあのカフェは、まだそこにあった。僕は25年前のお気に入りの席に座りコーヒーを頼んだ。当時はここのコーヒーが飲みたくて、わざわざこの近くにアパートを借りんだっけ。 またこの近くにするかな。 過去にすがりたいわけではないが、また同じ場所から始めたいと思った。 あの頃の僕に戻るために。

didi

13年前

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「やっぱりトモヤじゃない!懐かしいな、覚えてる?今どうしてるの?」 隣の席からはちらちらとこちらを見ていた女性が言った。 「えっと‥もしかしてアデル?」 僕は突然のことにびっくりしながらも、記憶をたぐりよせた。すっかり落ち着いたマダムといった風体だが、若き日の面影が残っている。 2人でこのカフェに何度か来たこともあったっけ。恋の相談をする彼女におそるおそる手を重ねた、あのときの緊張が蘇ってきた。

tati

13年前

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「本当に懐かしいなぁ。何年ぶりかしら」 暑いコーヒーをすすりながら彼女が言う。 「25年ぶりだな・・・。あーあ、俺もお前も老けるわけだな。」 「ちょっとっ!失礼ね。私はまだ心だけはあの頃と変わらないわよ。」 頬を膨らませながら彼女が言う。 今でこそそこらへんにいるおばさんになってしまったが、昔は相当可愛かった。 学校でファンクラブが出来る程だ。

noname

13年前

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「日本に帰ってからさぞかしご活躍されたんでしょうね?」 「まあ‥ね。帰国後しばらく会社勤めをしたあと、自分の事務所を立ち上げたんだ。ただ、それも去年畳んだよ」隠す事もない、俺は正直に話した。 「じゃあ、今は自由な充電期間ってことね!?ヒュー!」アデルは口笛を鳴らした。「待って。ということは、あのプロジェクト、今こそ実現できるんじゃないかしら」

noppo

13年前

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「プロジェクト?」 「忘れたの?あなた、この街の色とりどりの壁は組み合わさってひとつの芸術になっているってよく言ってたじゃない。その配色を巨大なカンバスに再現出来ればすごい作品になるなずだって」 僕は忘れていた若き日の情熱が蘇ってくるのを感じた。完成した作品を思い描きながらも、時間や金銭的な問題でとりかかれなかったのだった。 「今なら私も手伝えるよ」 「悪くないね。うん、悪くない」

tiptap3

13年前

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その日から忙しい日々が始まった。 まずは色の調査。街中を練り歩き、家々の写真を撮っては、パソコンに取り込み、データベース化していった。その過程は逐次インターネットで配信した。 それが一段落すると、絵に落とし込んでいく構想を練った。巨大なボードを購入し、町全体の地図をひとつの生き物のようにデフォルメした。この段階で、すでにプロジェクトは世界中に注目されるようになっていた。

rain-drops

13年前

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創作を続けている2人のアトリエには、町の住民がかわるがわる足を運び、鮮やかな世界に感嘆した。自分の家をさらに綺麗な色でペイントしなおし、それを伝えにやってくる者もいた。 小さな町には次第に観光客が増えはじめ、活気に満ちていった。絵が完成に近づくと、世界中の観光地からラブコールが殺到した。 Aはもう遠い過去を振り返ることはなかった。あの頃にあって今ないものなど何もないのだから。

coco

13年前

- 完 -