人々は言った。十三になれば、あの少女は山神様のもとに嫁がねばならない、と。 嫁ぐというのは、つまりは生贄ということである。続く日照りのため作物が育たないと、雨を乞うためにこのようなことはしばしばあった。この捧げ物には、異形の者が選ばれる。手足の欠けたもの、外人、不思議なものが視えるもの。 その村では皆が黒髪に黒い目、少し黄味がかった肌をしているのに、少女だけは青い瞳であった。
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村の者たちは、海を知らなかった。村は山に囲まれ、鬱蒼とした枝葉で空はほとんど見えない。人々は皆つるばみで染めた衣に身を包み、決して村の外に出ようとはしなかった。 村の者たちは、外から来た人間を決して受け入れなかった。山に迷い込んだ者は、男であれば土に還され、女であれば、山神様の花嫁候補として生かされ続けた。 青い目の少女は村で生まれたが、その瞳の色から外人(そとびと)のような扱いを受けていた。
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青い瞳の少女が、贄となる日が来た。 少女は何も語らず、白の装束に身を包み、俯いたままだった。 誰もが、「これで雨が降る」と安堵の表情だったが、たったひとりだけがそうではなかった。少女を見つめる、少年の表情は悔し気だった。 怒りは村人に対してではない。 力のない自分に対してだった。 不甲斐ない自分に対してだった。 村人がどう思おうと、少年にとってかけがえのない存在だった。
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少年が少女と初めて会ったのは、もう随分と前のことだ。 村の長の家で人目を避けるように囲われている贄の少女は、望月の宵だけ外に出ることを許されていた。寄り合いに出ていた父を迎えに出た少年は、殊更よく晴れた夜、一人月明かりを浴びる彼女を見たのだ。 青い目が合った途端、すとんと落ちた。言葉を交わすことも許されぬ。月の満ちる夜でなくば、姿も見れぬ。けれども少年の淡い想いは、確かに質量を持って其処にあった。
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少年は、何度も少女への想いを断ち切ろうとしたが、恋心は日に日に大きくなるばかりだった。どうすれば少女を救う事が出来るかだろう…。そう思い続けても時だけが虚しく過ぎて行った。 そして、とうとうその日がやってきた。 その日は“雨乞い祭り”の日でもあった。 昼間は、子供達が小さな山車をひき、神主と共に村人達の家を訪れ祈祷をした。 そして、夜になると山野で火を炊くき、太鼓を鳴らし大騒ぎをするのだ。
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祭りの喧騒を外に少年は悶々と時を過ごしていた。 夜の帳が村を包み始めると、それまで静かに単調な音を刻んでいた太鼓が激しい調子に変わった、何かが少年の背中を押した。 助けて二人で逃げよう。 夜になれば若い男たちは目当ての娘を連れて林の中に消えていくのを少年は知っていた。 少女が囲われている村長の家には年寄りくらいしかいない。 生贄を攫うような大それた者がいるとは考えていまい。 少年は闇を駆けた。
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やっと村長の家に着いた。微かに祭りの声が聞こえる。部屋の明かりは付いているから誰かいるのだろう。 少女はどこにいるだろうか。 音をたてず、慎重に歩く。 家の角の方に小さい蔵があった。少年はもしや、いや、絶対いると思った。鍵は簡単なつくりだったので幸いにも開けられた。 照らし出される月光と共に少女の姿がはっきりと見えた。 「いっしょに、逃げよう」 少年は手を差し伸べた。
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少女はあの夜と同じ様に月の光に包まれ、その目に月が映ってまるでこの世の者とは思えない美しさだった。少年は息を飲んだ。出した手が震えた。 少女は黙って立ち上がり、少年の手をきゅっと握った。 やった。やった。 少年は彼女の手を強く握りしめ、暗闇を無我夢中で走った。 彼女を手に入れた。それだけで少年は幸せだった。 村のはずれの崖の上に辿り着くと少女は口を開いた。とても美しい声だった。 「どうして」
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「どうして私が産まれたのか、その理由が解りました」 少年は感極まり、少女を抱きしめた。 震える手でその頬を撫でた。 そうして少女の瞳を覗きこんだ時、少年は気付いた。 少女の瞳に自分が映っていない。 背筋がさあっと冷たくなった。 「私は貴方に嫁ぐために産まれたのです」 少女が微笑んだ。 その途端、少年の身体は頭の天辺から二つに裂けた。 「山神様」 月光に包まれた少女は、静かに闇に溶けていった。
- 完 -