トンネルの向こうは

はっ、はっ、はっ、はっ。 智也のリズミカルな呼吸が、深夜の通りに響く。膝を傷めないように、ピッチは小さく。上半身は一定の高さをキープ。 夜遅く仕事から帰ると、軽いジョギングをこなすのが智也の日課だった。いい事があった日は、適度な運動が高揚感を後押しする。嫌なことがあった日でも、無心に走ることで頭をリセットする事ができた。 今日はそのどちらでもない。そんな日はいつもよりスピードを上げて走りこむ。

tiptap3

13年前

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いつも走る道順は決めてはいなかった。気分次第、信号次第で、交差点を直進したり曲がったり。 深夜なので街灯の無い通りなどは少し気味が悪い。それより厄介なのは、女性が前を歩いているときだ。男でも後ろから迫る足音には警戒するのに、若い女性ならなおさらだ。

13年前

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どんだけ走ったかな。 そんなこと関係ない。 ただ、ひたすら走っていたかった。

にゃん

13年前

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今日は特に疲れが溜まっていたのか、半ば作業的に足を運んでいたせいで気づかなかった。智也の前方20mほど先、若い女性が歩いているのを、そしてその女性が智也の接近に際して、若干歩を早めたことを。 端的に言って、女性は智也に恐怖していた。諸用でコンビニに買い物にいった帰り、日付を跨いだこんな時間に息を切らしせがら走り寄ってくる男を見かけたのだから、無理からぬことではあるが……。

やーやー

13年前

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女に気付いた智也はこのまま痴漢などに間違えられたくは無かったが、生憎この細い路地は横に抜ける道も無かった。 智也はあえて少しペースを上げた。リスクはあるが追い抜いてしまう方が楽だと考えたからだ。今は走ることを止めたく無かった。 すぐに追い付き追い抜くと思っていたのだが、女との距離は以前変わらなく見えた。ペースを早めた事で女を怖がらせたのかもしれない。 更にペースを上げたが距離は変わらなかった。

あひる

13年前

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50mほど走ったところで、ようやく智也は違和感に気付いた。目の前を急ぐ女性は、いくら急いでいるとはいえ、歩いている。追い抜けないわけがない。なのに、距離が縮まった感じがしない。 ふと、学生時代に聞いた、アキレスと亀の話を思い出した。駿足のアキレスがA地点に到達したとき、亀はA地点からB地点に進んでいる。アキレスがB地点に到達したとき、やはり亀はもうそこにいない。アキレスは、亀に追いつけないーー

lalalacco

13年前

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今の状態はまさにアキレスと亀だった。 智也は追いつく事のないこの女性との距離を少しでも縮めようと必死になった。 「はぁ、はぁ…あれ?」 トンネルを抜けたあたりで智也はふと我に帰った。何かがおかしい。目の前で自分に恐怖していたはずの女性の姿も見えなくなっているのだ。 見た事もない景色に異変を感じながらも、歩を進めて行った。 「…あのー」 突然女の声がして、智也は振り向いた。

N.YOHAKU

13年前

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どうして私を追い掛けて来たの?途中で諦めてくれれば見逃す事も出来たのに。 貴方は、知らずしらずに門をくぐってしまったの。もう帰る事はできないの。女性は哀しい顔で来た方向を指差した。 そこには胸にナイフを刺され横たわっている自分が映っていた。 何が起きてるのか分からないまま女性の方に振向くとそこには黒いマントに身を包んだ彼女がいた。 私は死神。今日は貴方を狩りに来たの。 さぁ一緒に行きましょう。

errorcat

13年前

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「あ、ぁ……あぁぁあぁあああ!!!」 智也の意識は、そこで途切れた。 「はあっ……はあっ……!」 酷い夢を見た。智也の額には汗が滲んでいる。 ……どうやら仕事から帰ってきた後、すぐに寝てしまったらしい。 どんな夢だったかは曖昧だが、ジョギングでもして忘れてしまおう。 靴を履き、夜の町へ。 はっ、はっ、はっ、はっ。 智也のリズミカルな呼吸が、深夜の通りに響く。

ルーク

13年前

- 完 -