僕は、儚い桜を見た。 長い黒髪、白く艶やかな肌、紅い頬と唇。「あなただーれ?」 綺麗な声で僕に問う。僕は少し間をおいて自分の名を口にした。「……僕は新撰組一番組組長、沖田総司。君は?」「私は………。」 聞こえなかった。もう一度聞こうとすると、どこからか桜の花びらが舞い降りてきて、目を瞑り彼女を見るといなかった。 そこへ、僕の(嫌いな)土方さんが来た。「いえ、何も」気のせいだろ。僕らは屯所へ帰る。
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あれから、一年が経った。「少し、外の空気を吸ってきます」見上げれば今年もまた、見事な桜が咲いている。そして、そこに見覚えのある姿が。 「今年も、また会えたね。沖田総司さん」 長い黒髪、白く艶やかな肌、紅い頬と唇。 そうだね、と答えようとして、咳き込んだ。浮き立つ春の空気のせいか、決して落ちない血の匂いのせいか。「大丈夫?」小さな手が伸びる。僕は無意識に、それを振り払った。 桜の花びらが舞い降りる。
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ごめんなさい、と彼女の綺麗な声がした。 口に当てた手のひらが色づいていないことに安堵した。 「僕こそごめん。君を嫌ったからじゃないんだ。良順先生があまり人に近づくなというものだから」 「ご病気なのですか?」 「そうだよ。だから、僕とは関わらない方がいい」 「そんなに酷くはないでしょう」 朗らかに笑う彼女に合わせ、僕は微笑んだ。 少しだけなら、彼女の笑顔に見惚れてもいいだろうか。
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「それに、人殺しの手だよ」 一見綺麗に見えても僕の手には何十もの血がこびりついている。 いいえ、と時が静止したと思う程艶やかな微笑みで彼女は続ける。 「沖田さんの手は、私達を守ってくれる手でしょう?なんて、図々しいですね」 彼女の柔らかい手が僕の手を包む。 「そう、だね。君の手に触れている時僕の手は君を守る為だけに」 「なら私の手も貴方を守る為にありましょう」 「ねぇ、君の名前は」 「また、来年」
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「来年、か」 一人呟きながら布団の中で寝返りをうった。 来年、僕は桜を見ることが叶うのだろうか。 彼女の名前を知ることができるのだろうか。 死にたくない理由ならいくつでもある。 もっと剣を振るいたい。 新撰組のみんなとこの乱世を駆け抜けたい。 近藤さんに恩返しをしたい。 でも、それらと同じくらいに彼女に会いたいという気持ちがあった。 げほ、と咳き込むと、口を覆った手は鮮やかな朱に染まっていた。
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これが最後になるのだろうか?君に会いにはゆけない。僕はもう、長くはないのだ。なんて世は儚い。命など風前の灯火。僕は…僕は。ただ生きたいだけなのに。仲間と君と。この時代、血で血を洗う幕末に剣一つで身を立て皆と生きた。人には言えない酷いこともした。総ては京の平和の為。こんな事でいいのだろうか?敵味方なく戦い、後には死しか残らず。友や家族を沢山失くした。君はそんな僕を笑う?その顔が忘れられない。
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桜の葉でさえ散り始めた頃、僕は近江屋へ向かっていた。海援隊を作って慶喜公に『幕府はもういらんぜよ』と言い迫ったあの男を討つためにだ。 あんたは知らない この世で斬ることしか出来ない、 僕の苦しみが。 あんたには解らない 病で未来へ希望の光の見えない、 僕の悲しみが_____ そう思い、無防備な男の額を一閃した。 辺りは血で溢れ、僕の吐血も混じった。 男の名は____そう、坂本 龍馬。
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僕は剣の血を払い、近江屋を後にする。 体がやけに重い。足元はふらつき、意識は朦朧としている。きっと、病の体を押して来たのが仇になったのだろう。 ならば、今日僕は死ぬのかもしれない。 そう悟ったからなのか、僕はいつの間にかあの桜の木の元へ来ていた。 彼女はいない。桜も咲いていない。 何を期待していたんだ、僕は。 僕は力なく笑って、桜の木にもたれ掛かった。 その時、桃色の花びらが僕の上に落ちた。
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顔を上げると微笑む彼女がいた。 「もう僕は最後かな?」 声がか細く、自身でも聞こえづらい。 長い黒髪、白く艶やかな肌、紅い頬と唇。 その唇が開き「大丈夫、大丈夫、まだ大丈夫よ」との言の葉を紡いだ。 彼女が僕の隣に座り「あなたの最後は来年の五月 (さつき) 時分だから」と続けた。 「なぜ君はそれを?」 僕の問いに、彼女は「それは今度の春に…」との声を残して風と消え、僕は最後の春を待つ楽しみを覚えた。
- 完 -