嵐の夜は、落ち着かない。 嵐がおさまると、悪い知らせばかりが次から次へと。 親友に裏切られたり、 彼氏が浮気していたり、 飼っていた犬がいなくなったり、 そして、きわめつけは、 嵐の夜、留守番をしていた私の家に、 夜が開けても昼になっても、誰も帰ってこなかったこと。 私は天涯孤独になったのだ。
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その日、私の家族は揃って登山に出掛けた。 本当は私も行くはずだったのだが、部活中に足を痛めてしまい、仕方なく留守を任されていた。 だが、いつまでたっても家族は帰って来ない。 その日の嵐の影響で私の家族は遭難していたのだ。 当時は濃い霧もかかっていたらしい。 父、母、姉、弟、全員が行方不明になった。 死体はまだ発見されていない。 今でも嵐の日には家族が帰って来るのではないかと考えてしまう。
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親戚は死亡届を出そうとし、私はそれを断固拒否した。けれど高校生の私に決定権はなかった。 結局、家族が行方不明になって一年後、私が形だけの喪主、父の弟が喪主代行として葬儀を執り行った。 その後、財産が分与されたが、この家と、高校卒業までの学費と生活費は、何とか手元に残された。 ひっそりと静まり返る家は、まだ箪笥の中身さえそのままだ。 私だけが息をしている。 ああ、今年もまた、嵐の季節が来る。
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前日から重く垂れていた雨雲はついに大粒の雨を落とし、夕刻から吹き始めた風が街路樹を唸らせる。 賑やかなはずなのに、どこか寂しく空回るテレビの声。私は布団に潜り、じっと嵐が過ぎ去るのを待っていた。 夜半、ブツリ、と突然テレビが切れた。 停電だ。 頭から布団をかぶり直し、もう寝てしまえときつく目を閉じた。 妙な音が聞こえる。 誰かがドアを叩いてる。 「...ちゃん、僕...だよ、あけてよう」
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その声は弟のものだった。 「レン。レンが帰ってきた」 妙な予感に浮き足立って、まるで自分の体が自分の物ではないかのようだ。 闇の中を手探りで歩く。時折差し込む閃光に足下を助けられながら、私は玄関に向かう。 "鍵をかけたことなどないのだから、勝手に入ってきたらいいのに" レンは元気かな。今度は私一人置いていかないかな。 "誰かが帰ってくるわけがないのに関わらず、私の心は喜びに満ちていた"
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扉を開けた途端、轟々とやかましい暴風雨が鉄砲水のように私に吹き付けた。 外は鈍色。嵐。 正面を向いたまま扉を閉める。 街中は暗澹として、だけどアナーキーで、そこかしこからアルミ製のドラム缶をプレスしたときのような音が聞こえて怖かった。 一瞬のことだった。が、目の前を白い何かがよぎったのを私は見過ごさなかった。 後にそれは傘だとわかったが、私はレンだと思い込み、気づけば追いかけていた。
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追い風で、レンを追い掛ける私は速かったが、私より軽い傘はもっと速く、どんどん距離が開いていく。嵐が吹き荒れる深い闇の中に、傘は見えなくなりかけていた。 レン、どこに行くの? お姉ちゃん、ずっと待ってたんだよ? ねえ、おかえりって、言わせてよ… 「レンお願い、待って‼」 轟音に掻き消されながらも、私は何度も叫んだ。いつか止まってくれると信じて。 頬に当たる雨はどうしようもなく温かかった。
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「レン、レン……‼」 叫ぶうちに声は掠れていき、ついに耳に届くのは、雨音と弱々しい自分の息だけになった。 不意に強く、私は実感した。 ・・・私は、一人だ。 母も父も、もういない。 優しかった姉も、さっきまで必死に追いかけたレンも、もういないのだ。 強く私を打っていた雨は、いつしか弱まり、私は静かな嵐が作りだす闇の中でうずくまった。
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家に着くと玄関にへたり込んだ。追いかけて来たように鳴るチャイムに重い腰をあげた。 「ワンっ」 ドアの向こうに目を疑った。 「あなたを見て走り出したんだ。この家の子かな、レンは」 リードを握る男性はバツが悪そうに笑った。 「ごめん、僕勝手にそう呼んで」 しゃがんでそっと撫でる。無事だったんだね、レン。小さく弟の名を呼ぶと返事のように尻尾を振って私を見ていた。 擦り寄るレンを抱きしめた。
- 完 -