卵が欲しい。 そう思ったことは認める。 ちょっと小腹が空いて、なのに冷蔵庫は空っぽ。その割には炊飯器には白飯が詰まっていた。 それを確認して痛切に思った。 卵が欲しい、と。 白飯の上で卵を割って醤油かき混ぜる。そんな美味しい想像しているうちに催してトイレに行ったら驚いた。 便座にでっけえ卵が鎮座していた。 何の考えもなくコンコンと拳で叩いてみる。 「入ってまーす」 いや、おい。 何が入ってんだよ。
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しかし欲しかったのは生卵であって。 これは食用にはならないだろう。 そう思うと腹が立ってきた。 減ったり立ったり大忙しの腹。恨めしそうにないている。 はて。 普通なら驚き恐れるなり不気味がるなりするところだろう。何故自分はそう言った極自然な反応ができなかったのか。 あまりにも当然のようにそこにあるものだから。 人間と言うのはかくも押し切られやすく流されやすい生物なのか。 そうだ、流そう。
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とりあえず大のボタンを押してみた。 ジャーゴボゴポボ。。。 水が勢いよく下水道にまっしぐら。している音は聞こえる、が、便器の上にいらっしゃる卵。当然流れていかない。便器を蓋する形で鎮座しているのだから至極当然。 うーん。これをどうしよう。 そして我が排泄欲をどうしたものか。 もう一度拳で叩いてみた。 「入ってる言うてるやんけ」 予想外のヤンキー口調。 あまり関わりたくないと思った。
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しかしこのままではこっちもヤバい。しょうがない。卵を抱きかかえたまま用を足すことにした。「誰か」と一緒に用を足すなんて初めてのことだが、余計な事は考えまい。 元通り便座に卵をそっと置き、静かにトイレを出ようとした時、 「我もトイレから出さんかい」 リビングのソファには巨大な卵。 どうしたもんか。沈黙が続いた。 …ピキ…ピキ え?何なんだよ⁈ 「時がきたな」 バリッ !! これは…⁈
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ピキ…パリ…ポロポロ… ピカッ!卵が眩しく輝いた! 「ジャジャーン!」 眩しさに慣れ、目を向けると、ソファと床に卵の殻が砕けて落ちて山になっていた。 ソファの上には、 上には… う…え… え…? ええ? えーーーーーーーーーーっ?! そこにはド~ンとばかりに、 卵が鎮座していた。 「孵化してねぇーじゃん!」思わずツッこんでしまった。 「脱皮だっちゃ♡」 卵が可愛らしく答えた。
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あまりのコメントに、さすがにキレた。 「『だっちゃ』じゃねーよ!つーか、なに散らしてるんだよ!何なんだよおま…」 と言いかけた時、卵から殺気が感じられた。 目は無いが、明らかに睨まれている。 「…すいません」 「分かればええんや」 って、何で俺が謝らなきゃなんないんだと思ったが、恐いので言うのをやめた。 「…あの〜、脱皮って事はその姿が本体ですか?」 「いや、まだまだこれからや」 へ?
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「ま、まだまだこれからって…?」 「これがワシの完全型ではないということだ。」 か、完全型…一体どんなのなんだろう… 「あ、あのぉっ」 「ん?なんじゃ」 「あのっ…いっ、一体…なんの卵なんですか?」 「…」 え、何々?何でだんまり? いけないこと聞いちゃった…とか? 「あの…そもそも、どうしてうちのトイレなんかに…」 そこまでいい顔をあげると、目の前には卵を脱ごうとしている卵。
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マトリョーシカなのか!箱根細工が起源とも言われている、ロシア女性の名のマトリョーシカなのか! 心につっこみを秘め、卵が脱皮する姿を眺めていた。 「ワシはな、もともとがこんなわけやない。ふかーい故あってこうなったわけで、いつまでもこうしてるつもりもないし、人様の迷惑を考えられん卵でもない」 卵の脱皮の速度は次第に早くなっているようで、一度脱ぎ捨てた卵を一瞥すると、すぐに次の脱皮に取りかかった。
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迷惑をかけるつもりはないといいつつ、無尽蔵に増え続ける卵の殻は邪魔臭いことこの上ない。 ドンドン脱皮を繰り返しついには両手のひらに収まる程度にまで小さくなった。だがそれでも脱皮を辞める気配はない。 いい加減にうっとおしくなってきたので、脱皮を続ける卵を持ち上げトイレに落とし流した。 「ぎゃあああああ!」 結局奴はその全貌を明かさぬまま水路の奥へ消えて行った。 スーパーにでも行くかな。
- 完 -