あやしの花

一人暮らしを始めたとき、父は私にひとつの鉢植えを持たせた。 それは祖父母が生まれる遥か昔から実家にあったもので、今でも変わらず立派な花を咲かせるのだそうだ。 「きっと厄除けになるはずだから」 お調子者の父があまりに真剣に言うものだから、なんだか無下にも出来ず、毎朝水を遣っている。 日照時間の少ない六月、それは見事な花を咲かせた。 菖蒲の花と同じ色をした、カトレヤによく似た形の花だった。

miz.

10年前

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「すごい綺麗な花」 ある日、家に遊びにきた友人がそれを見て呟いた。 その言葉は何故か自分が褒められたかのように嬉しかった。 「これなんて言う花なの?」 「うーん、わかんない」 「え?わかんないの?なんで?」 「えっと…」 花にそれほど詳しくなかった訳ではなかったがこの花は見た事がなかった。 「ねぇ、この花貸してくれない?」 友達は不意に言った。

utumiya

10年前

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「毎朝、必ず水をあげてね」 「分かってるって」 そう言って友人は鉢を抱えて帰っていった。 数年前まで彼女は美大で油絵を学んでいた。卒業して絵筆から遠ざかっていたが、あの花を見て久しぶりに描いてみたくなったのだという。 しかし預けてしまってから急に不安になった。強い思い入れがある訳ではないが、それでも代々受け継がれてきた大切な花だ。 サボテンすら枯らしたことのある友人に世話が出来るだろうか。

hayasuite

9年前

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不安で胸がいっぱいになった。 この友人に預けてしまってよかったのだろうか、絵を描くのに夢中になって水をあげるのを忘れていないだろうか。 私は眠れなくなって、夜中だというのに友人の元に電話をかけていた。 友人は電話に出なかった。彼女が絵を描くとき、あまりに集中力を使うので、手を止めると死んだように眠るのだ。 翌日、私は友人の元に訪れていた。 順調に描いている、などと都合をつけて。花は無事だった。

aoto

9年前

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 友人は、無事ではなかった。  最初はまた死んだように眠っているのかと思った。鍵も開けっ放しで、危ないなあと思った。  臥せる身体を何度か揺らして、気付いた。違う。  眠るように死んでいるのだ。  狼狽して尻餅をつくと、固まった友人の手から絵筆が転げ落ちた。  キャンバスを見遣ると、それは凄艶な花が、燃えるように豪快な筆致で咲いていた。  貸した花によく似たそれは、けれど。 「色が……違う?」

構造色

8年前

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花は馬酔木のような色で描かれていた。きっと友人の美的感覚で別の色にしたのだろうと疑問を打ち消し、直ぐに救急車を呼んだ。内心では、助かるとは思っていなかった。 鍵が開いていた為殺人の可能性があり、現場保存の為花は返されなかった。 事情聴取と言われたが警察が話を聞く姿は私を訝しんでいるようだった。 「あの部屋の花にちゃんと水をやってくださいね。」 そう言うと 「あの蒲公英のような色の花か?」

柳瀬

7年前

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蒲公英? 私は絶句した。この警官は一体何を言っているのだろう? 間も無く私は口を開こうとして、しかしはたと気付く。友人はあの花を、馬酔木のような色で描いていたこと。 私が何も言わないので、彼は鼻で笑って部屋を出て、私も一時的に解放された。帰路の途中、私はあの花のことが頭から離れなかった。父から受けた、私にとってはカトレアに似たあの花のこと。 翌日、私は何事も無かったかのように放免となった。

三味猫

5年前

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数日経って、友人の死は事件性なしと結論づけられた。けれど、どういうわけか花が戻ってこない。 問い合わせてみると、花は既に返却されたことになっていた。しかも、私に花を返すはずだった警官が、数日間無断欠勤しているという。 嫌な予感がした。 見る者が最も美しいと感じるように映り、水をやらせ、それを怠れば命を奪う。推測でしかないけれど、そんな生存本能のようなものが、あの花には備わっている気がするのだ。

みつる

5年前

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アパートの一室に男が座っていた。だが、彼は誰の声にも答えなかった。彼──私に事情聴取をした警察官──も花の水やりを怠ったことで命を奪われたのだ。 「綺麗な花を買ったって浮かれていたけど、まさか事件の現場から持ってきたなんて…」 「その花なんですけど…無くなっています」 私たちは言葉を無くした。 あの花は今どこにあるのだろう?もしも見かけたら水を忘れないで。 さもなくば……。

Ellie

5年前

- 完 -