赤い女

新緑の眩しい季節、可奈子はおろしたばかりの檸檬色のワンピースを着て家を出た。 最初の角を曲がると、駅まではまっすぐな道が続いている。 この道は可奈子の好きな道。 閑静な住宅街と喧騒の駅前をつなぐ一本道。 暖かい風が、可奈子の頬を撫でた。 ーあら、可奈子ちゃん、大きくなったのね 不意に耳元で囁く声がして、可奈子は驚いた。あたりを見回したけれど、誰もいない。そこはいつもと同じ住宅街だ。

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可奈子は気を取り直し、再び歩み始める。 目指すは君の元。 駅から電車に乗って、数十分ほどで着くだろう。 ーーまあ、私のこと忘れてしまったのかしら? 不意に聞こえた女性の声。恐る恐る振り返る。 だがそこにあるのはやはり住宅街。 可奈子は怖くなり、少し速歩で一本道を歩く。

のくな

12年前

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─可奈子ちゃん ─可奈子ちゃん 足を早めれば早めるほど、声はさわさわと、そしてはっきりと聞こえる。もはや幻聴とは呼べない。 耳を塞いで、振り返らずに走った。 ようやく君の家の角を曲がり、門扉の前にに辿り着く。太陽は明るく、どこにも影はない。 早く君の元へ。 インターホンを押そうと伸ばした手を、いきなり横合いから、誰かにぐっと握られた。 ひんやりとした感触に身が竦む。 「キャーっ‼」

12年前

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「なに、僕だよ」 それは蒼くんだった。今あったことを話すと蒼くんは考えこむように唇を噛んでいた。 「じいちゃんも前にそんなこと言ってたな」 ちなみに蒼くんのおじいちゃんはもう亡くなっている。 「よし調査だ」 「い、いやだ、怖いよ」 今日は蒼くん映画に行こうって言ったのに。なのに蒼くんは私の手を握るともと来た方に向かって歩き出した。 「僕がいる、大丈夫」 何か聞こえたら言えよ、と蒼くんは笑った。

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喧騒の駅前はいつも通り、行き交う人々のざわめきが響くだけ。二人でいるとあの声は聞こえない。 「どう?」 「聞こえない。ねえ、もう止めよう。遊びにいこうよ」 そう言って、駅を出ようとして気がついた。 あんなに晴れていた空がいつの間にか曇っている。太陽は雲の影に隠れてしまった。 空を見上げたその顔に、一つ、二つと雨粒が落ちる。あっという間に本降りになった。 暖かい風が、二人の間を吹き抜けていく。

lalalacco

11年前

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「ビニール傘買ってくるよ。可奈子はここにいて」 蒼くんはコンビニの方へ走って行った。 待って、一人にしないで… 努めて雨の音に集中する。なのに、 -可奈子ちゃん 来た。 -やっと一人になったのね。 いや。誰。聞きたくない。 -どうして逃げるの。久しぶりに会えたのに 怖い‼︎ 声から逃れようと雨の中に飛び出した。 土砂降りの雨が体を濡らしていく。 -そういえば、こんな雨の日もあったわね

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蒼くんをコンビニに残したまま、当ても無く、何度も転びそうになりながら走った。 商店街の方にいければ! この町で唯一賑わいを見せる場所。 と、ふと気付くと目の前の道の真ん中に人が。 そういえばあの声も今は聴こえない。 急いで商店街の方へ向かうため、その人の脇を通り過ぎた時。何か違和感がある。 -「可奈子ちゃん。」 違和感の正体。それはこの蒸し暑い雨の中、傘もささずコートを着たその女の人。

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立ち止まってはいけない、そう分かっていても、足が凍りついたように動かなくなる。そしてそのまま、可奈子は恐る恐る振り返った。 「可奈子ちゃん」 妙に胴の長い女性が、上半身を前後左右に揺らしながら近付いてくる。真っ赤なコート。まだ昼間だというのに、顔の辺りは陰ってよく見えない。 「カナコチャン、ヤットアエタネ」 女性の放つ声は、今日何度も耳元で聞いたものと同じ。けれどどこか、作り物めいていた。

香白梅

10年前

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「あれ、可奈子どこ行ったのかな?」 蒼くんは傘を持ってコンビニから出てきた所だった。 「蒼くん...」 こっちに向かってきたのかと思ったら、そのまますれ違った。 どうやら私に気づいてないようだ。 「蒼くん...なんで私を1人にするの...?」 可奈子の声はまるであの女性と同じ声。 ワンピースは、あのコートと同じ真っ赤。 「待ってよ...ねぇ」 ワンピースの裾からは赤い液体が滴り落ちていた。

ハル

9年前

- 完 -