部活帰り。 早川千春が所属する美術部は、大抵5時頃には解散になるのだが、今日は無駄話に花が咲いてもう7時をまわっていた。 夏とはいえこの時間になると辺りはすっかり暗くなっている。少し心細いような心地で、とぼとぼと歩く。 運動部の賑やかな集団に何度か追い越された。その度に彼はいないか、と目を凝らす。まだ見つからない。 ふぅと息を吐いたところに、ドンと背中を押されて千春は飛び上がった。
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隣の席の熱田くんだ。 最近はアタックの仕方で彼とわかるようになってしまった。振り向きもせず言い当てて文句を言う千春に、熱田くんは満更でもなさ気に「バレた?」なんて追い越してからいつものニッカリ笑顔を見せる。 愛想がよく、スポーツ万能。成績も悪くない彼はクラスの人気者。身長だけは、真ん中くらいかな。 「バレた? じゃないよ。寿命縮んだらどう責任取るつもり」 「俺のせいかどうかわからないからなぁ」
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飄々ととぼける熱田くんに何も言い返すことができなかった。 私が寿命を迎える時、彼が側にいるのなら? 不意に浮かんだ妄想がなんとも憎らしい。 「今日、遅かったじゃん」 熱田くんはいつの間にか隣に並んでいた。 「部活で話が盛り上がったの」 「千春のとこ、楽しそうだよな」 俺んとこは練習、練習で疲れちゃって、と吐かれる愚痴に千春は不思議と安心めいた気持ちを抱いていた。普通なら、こんな話面白くもないのに。
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熱田くんだからなのかな。毎度毎度隣の席になっては、クラスの女子の羨望や妬みのアツイタな視線を感じることに関しては辟易する。でも何だかんだで彼と話す時間は楽しい。 「考え事か?」 爽やかな熱田スマイルが飛び込んできて、幸せに包まれた私は思考を放棄した。 隣の席なだけの関係。現状に甘んじていたのだと気付いたのは2学期初日。隣のクラスに転入生がやって来たらしい。 「熱田の事好きなんだって」
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単なる噂、と片付けたくても一滴の墨汁を絹に垂らしたような不安が拭えない。マスキングインクでしっかり覆った筈なのに、何処からか色が侵食してくる。 「待たせてごめんね。今日はちょっとミスしちゃって」 「大丈夫? 最近、何だか上の空って感じだけど」 俺で良ければ話を聞くよ、と下駄箱で立ち止まった。昇降口のガラス戸からオレンジの光が差し込む。私は思い切って尋ねた。 「隣の転校生、どう思う?」
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「転校生?あぁ、美雪のこと?」 み、美雪‥。もう、下の名前で呼ぶような仲なのだなと落胆する私。それとともに自分でも意味不明な憤りが込み上げてきた。 「仲良いんだね。良かったじゃん‥」そう言って私は熱田の隣を抜けて走った。 「おい、千春?」と彼の私を呼び止める声も私には届かなかった。 私は下駄箱横のトイレに駆け込んだ。 「私‥何がしたいんだろ。」私はそう呟いて涙を流した。
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「どうしたの、えっと、早川さん?」 最悪の事態だ。黒木美雪が隣の洗面所でメイク直ししていた。泣いてる私を心配そうな顔で見てくる。 「……」 答えたくない。ライバルへの妬み嫉みで死にそうになる。 「良かったらこれを。」 同情のティッシュはいらないよ…これ以上私を虐めないで。 「それじゃまたね。」 黒木美雪が離れた。いい匂いを残して。 完全敗北感で倒れた私。 初恋の寿命は、春よりも短い。
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次の日、学校に行きたくなかった。熱田と顔を合わせたくない。結局、人生で初めて学校をサボった。 その次の日からも、頭が痛いだのお腹が痛いだのと何とか理由を作って学校に行かないようにした。流石にお母さんがサボりに気づき始めたが、その頃には何故かタチの悪い風邪を引いてしまい、熱田と顔を合わせない日が何日も続いた。 これで良かったんだ、と熱にうなされながら思った。 「あつだ……」
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「おいそれ俺の名前!熱だ、だろ?」 笑いながら熱田が言う。 え?なんでいるの?しかも横には黒木美雪?! 「見舞いに来たかったんだよ、美雪連れて」 「兄さんに早く彼女のところに連れてけって言ってたの」 「おい!まだ彼女じゃねーよ!言ったらばれるだろ……」 家庭の事情で別れていた兄妹が、見舞いに来てくれた。 これは熱による夢? 私は更に熱が上がった気がした。 でも最高に幸せだ。
- 完 -