職場の窓から空き地が見える。 いったい誰のものなのか、草も生えておらず、きちんと手入れされているようなのに、もう長いこと使用される気配がない。 いくら郊外とはいえ、もったいないことだ。そう思っていたら、ある朝突然、その場所に大きなテントが立っていた。サーカスがやってくるのだ、と同僚がいう。
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こんな場所でいったいどこのサーカス団が、と誰もが不思議に思っただろう。仕事の合間に窓の外を眺める人達が増えた。 日常にふと現れた非日常の空間は、何故だか期待と不安の入り混じった妙な胸騒ぎをもたらした。
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『皆様の退屈な日常に、至高の恐怖と生きる喜びを。ー捨て山サーカス団ー』 近隣に配られたチラシには、そう書かれていた。 「へぇ、面白そうだね。恐怖のサーカス団か。元々サーカスというものは、手足の無い奇形な人間や、変異した動物の見世物小屋が始まりだからね」 横で覗き込んでいた同僚が得意げに蘊蓄を語っている。私は適当な相槌をうって、それから同僚をサーカスに誘った。 ほんの軽い気持ちだった。
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日曜日。パンパンと花火の音。始まりの合図。 テントの方から、集まった人達のざわめきと楽し気な音楽が流れてくる。 チラシを見た人達なのだろう、みんなそわそわしながらサーカスを観ようと集まってきている。 「結構、客集まってるね」平静を装っているが、同僚の山下もなんだか興奮気味だ。 「あそこがチケット売り場だ」 山下が指差した。 私達は列に並び順番を待った。 売り場に近付くと注意書きの看板が目に入った
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『上演中は席を立たないように』 映画館などでよく見るありふれた注意書き。背景の一つとみなし、売り場に目を戻そうとした時それは目に入った。 『…が呑み込…いま…』 看板の下部に薄く記されていた。掠れた文字は時の経過によるものか。にしてはまるでブラシで擦ったような… 故意に消したのか。 急に背中が寒くなった。 やはり帰ろう。私が列から出ようとした時 「ほら、お前の」 と山下がチケットを持ってきた。
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「お、ああ。」 まさかここまで来て怖いだなんて言うことはできないだろう。 俺は山下に臆病者だと思われないよう、文字のことは黙っておくことにした。 「さて、俺達の席は」 テントの中は、やはり町中の知った顔が集まっていた。がやがやと、客達の賑やかな騒音がこれから始まる奇想天外なショーへの興奮を募らせ、、、 い、や、 いや違う違違う本当は逃げたいだみんな逃げたくてでもそを隠すためにわざと騒いいるん
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今にも叫び出したくなるような恐怖心を押さえつけて、席に腰を下ろした。山下も今日はなんだか口数が多い。胸の内で膨れ上がる不安を打ち消したくて、人々はわめきたてる。 「ヨウコソ、ミナサマ」 ステージに背の高い道化師が現れて、ひょこりとお辞儀をした。 「本日ノすてーじ、是非是非、サイゴまデ見届けテくだサイネ」 奇妙な節の音楽とともに、サーカスが始まる。空中ブランコに、ライオンの火の輪くぐり。そして、
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また、空中ブランコ。 なぜまた? そう思ったとき、俺は、あることに気づいた。後ろの席に、立っている人がいたのだ。 どこからか道化師が現れていった。 「上演中、セキニタッタひトは、体とココロを飲み込まれてしまい、ソンザイジタイガキエます。注意ガキに書いてアッたデショウ?それでは。ミモノですよ。道化師の空中ブランコ!」 わああ!と会場が熱気に包まれる。 なぜだ?なぜ人が消えるというのに笑っていられる?
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観客は、これを演し物の一部と捉えているのか? 道化として櫓に登らされる後席の人。縄付きの棒を手にした末路など、目に見えていた筈なのに。 人一人の存在が消えてから場が阿鼻叫喚に一変する。 群衆が出口へと踵を返す中、背高の道化師は肩を竦めるばかり。 「おヤおヤ、ドウシマシタカ?しょーハまだ終わッテいませンヨ?ミナサマに見届けてイタダけないとは残念デス」 その言葉までが、正気の沙汰の出来事で。
- 完 -