「わかってねぇくせに偉そうに言ってんじゃねぇ!」 この警官のおっさんは知らないのだ。 やり返せない惨めさを。 死にたくなる恥ずかしさを。 殺したくなる悔しさを。 だから平気で達観ぶったセリフが吐ける。 今ならやり直せる?ハン、やり直せるのは、やり直す気のある人間だろ。 少なくとも私は、あいつを殺った事を後悔してない。 あいつはユミを自殺に追い込んだ。 私もボロボロになった。 殺されて、当然だ。
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あいつは、ユミに一生消えない傷を作った。ユミは、あいつに、──された。放心したユミを一番最初に見つけたのは、私だった。 ユミは、私の妹だった。父親違いの妹。 母は、私が六歳のときに家を出ていき男と暮らし始めた。そこで産まれたのがユミ。 父は、母からユミを奪った。母は男と心中したらしい。私は、父がふたりを殺したのだと思っている。 父は、ユミを可愛がった。ユミが14になったとき父は、いや、あいつは、
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真っ暗な部屋の隅で膝を抱えて座り、まるで人形のごとく壁に身を預けるユミの姿を見たとき、私は何があったのか理解できなかった。その頃はまだあの男のことを『人間』だと思っていたからだ。だから、ユミを問い詰めてその口から吐き出させた、不愉快極まりない一部始終も、にわかには信じることができなかった。さらに詳しい説明や証拠を求め──ああ、私はなんて残酷な仕打ちをしたの。でも私もどうすればいいかわからなかった。
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憎しみで身が焼けそうだ。こんな思いをさせたあいつが憎い。あんまり辛すぎてユミのことまで憎い。そんな私自身も憎い。世の中全てが憎い。 憎しみで思考停止になりそうなアタマをフル回転させて三日間考え続けた。 あいつを殺す。 それが私のたどり着いた結論だ。 何かを得るには何かを捨てるしかない。マンガで目にしたセリフが思い出された。 十七歳の私が大の男を殺そうというのだ。エサが必要。 それは私…。
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私がエサとなり、アイツを殺す。 そう簡単な事ではない。 そんな事は分かっている。 ただ、あの男が憎くて憎くて仕方が無いのだ。 わたしの大切なユミに、あんな卑劣な…残忍な行為をしたあの男が悪いのだ。 嗚呼、今すぐにでも殴り殺してしまいたい。 しかし、そうすぐに殺すというのも面白くない。 死んでしまった方がいっそ…という位の苦しみを与え、それから殺してしまおうか?
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それからしばらく、私はあいつをどんな目に会わせてやろうかと考えた。我ながらどうかとは思うが、今までの人生で一番と言ってもいいくらいに充実した日々だった。 あいつには苦しんでもらわないと。 ユミを、私の心をこんなにも壊したのだから。 作戦は決まっている。 まずは夜、2人きりになる。これは難しくない。ユミが死んだ今、この家に住んでいるのは私とあいつだけだ。 それから酒を飲んで酔わせる。 そして…
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今、私は彼の前に立っている。 そして彼は紅い海に浸かっている。 私は彼を殺したのだ。ユミはこれを見て喜んだのだろうか? もし、そうでなくても私は一切の後悔をしていない。 わたしは愛を守るためには人を殺した。 人を殺すとき、そこに何かわからない温かみを感じる。人が生きてきた証、心の奥底の感情が刃を伝って感じられる。 しかし、ユミと私を傷付けたことを思い起こせばそんなことすぐに忘れる。
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気付けば私は握り締めた包丁の刃の先を喉に向けていた。決してこいつを殺した罪悪感からではなく、ただユミのいる場所に行く為だった。 こいつの悲鳴を聞きつけたのか、玄関を勢い良く開けて警官が押し入って来た。 目を剥いた警官は声を荒立てていうが聞く耳なんて持たなかった。警官の説得を無視し、喉に当てた刃を滑らそうと力を入れた。 その時だ。耳障りな台詞が部屋に響いたのは。 「今ならまだやり直せる!」
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「わかってねぇくせに偉そうに言ってんじゃねぇ!」 「そうとも!わからない。だがな、あんたが理由も無くこんな事をするコでないと私は知っている!」 その言葉に私は、警官の射抜く様な眼差しの中に懐かしさを見付けた。 私はこの人を知っている。 …十円玉、またお巡りさんに届けよね 幼い頃、小さなユミの手をとって、よく落し物を届けた… お巡りさんの手が私の硬直した指をゆっくりと、解き解いていった。
- 完 -