スイート・ジャム

幸せな一人暮らしをしている。 人間嫌いな私は、イギリスのこの真っ白いアパートに閉じこもって生活している。テレビもPCもないが、iPhoneはある。 伸ばしっぱなしの黒髪癖っ毛。どれだけ食べても太らない体。睫毛は長いが、生憎男だ。 年齢は、30歳。仕事は、小説家。

斉藤紺

13年前

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だが、まだ一度も最後まで作品を書き上げた事が無い。 冒険家のムーミンパパと同じだ。 …と、いうのは自分への言い訳であって、書き上げられない理由はよく理解している。 そもそも、小説家なのに人間嫌いと言うのが間違いなのだ。 他人との接触を嫌う為に、キャラは薄っぺらになるし、自らの実生活も単調で様々な体験も少ない為に物語の真実味にも欠けるのだ。 イギリスの片田舎で、毎日iPhoneを弄るだけの生活だ。

真月乃

12年前

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そして、もうすぐ12時15分… コンコンコン ドアをノックする音。相手は分かる。下のおすそ分け大好きおばさんだ。最近はほぼ毎日来てくれる。ありがたいのだが… 「リョーヘイ?」 ドアを開けるとやはり、おばさんが立っている。 「これ余ったからね。今日はスコーンだから、ジャムかけたらおいしいよ」 きっと好意でやってくれているのだが、私が英語を半分以上理解していないことを彼女は知らない。

yuta

12年前

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スコーンは焼きたてらしく、掴むとほんのりあたたかかった。これまた貰い物の木苺のジャムをつけ、もっそりとかじる。酸味が丁度良いジャムに、スコーンが口の中でしっとりとからまり、うまい。 そういえば、これが今日初の食べ物だ。コーヒーで空腹が上手く紛れていた。急に空腹を覚え、夢中でスコーンにかぶりつく。途中、水分欲しさに牛乳を求めキッチンへ行った。その時キッチンの小窓から見たのだ。男の子と子猫を。

yuuka

11年前

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いや、違う。 女の子と子猫だ。 私は女の子に向かい叫んだ。 「そこのお嬢さんスコーンは好きかい。 余っているんだ、良かったら食べないか。この木苺のジャムを付けると最高なんだ。」 私は手に持ったジャム瓶を軽く揺らしておどけた。 これも違った。私は簡単な英語しか喋れないし人間嫌いだった。 女の子など居らず、居るのは痩せた子猫だけ。 私は喰いかけのスコーンを痩せた子猫に向かって投げた。

anatani

11年前

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投げたスコーンはレンガ道で弾け、子猫は驚いてピョンと身をかわし逃げてしまった。 どうやら私は人間どころか、猫とも上手くやれないらしい。 やや落ち込みながら、冷蔵庫から牛乳を取り出す。 待てよ、子猫にならミルクが良かったか?などと思いながらもう一度小窓を覗くと、散乱したスコーンに5匹程の猫が群がっていた。 それを、さっきの子猫が物陰で見つめていた。 それを見つめる私。 まるであの子猫は私の様だ。

11年前

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そう思うと、何だか居ても立っても居られなくなり、牛乳瓶とスープ皿を片手に部屋を飛び出していた。階段を一段飛ばしに駆け下り、アパートの前の狭い道路に飛び出す。 慌ててあちこち見回すと、そこにはまだ先程の子猫がいた。仲間の輪に入れず、一匹スコーンにあぶれていた子猫だ。 私は皿にミルクを注ぎ、そっと足元に置いて子猫の様子を伺った。 子猫は最初は警戒心を露わにし毛を逆立てていたが、次第に近づいてきた。

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ゆっくり、たまに許可を求めるような上目遣いで子猫は距離を縮めてくる。 丸い瞳にはやや迷いの色を残しているようだったが、私が皿を寄せてやると子猫はミルクに口を付けた。 二、三度ペロペロと慎重に舌を伸ばしたあとは、盛んに皿を舐め始める。 満足げな鳴き声のニャアを、私も満たされた心地で聴いていた。なんだか、とっても、悪くない。 それが猫への勝手な解釈だとしても、私は上機嫌でミルクを注ぎ足した。

おやぶん

10年前

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私が頬を緩ませながら部屋に戻ると、食べかけのスコーンが目に入った。 全て食べきり汚れた指をペロリ。おばさんの顔が浮かぶ。 今日は久しぶりにキッチンに立とう。確か林檎があったはずだ。砂糖もある。スコーンに合うかは分からないけれど、きっと大丈夫。 「あ」 久々に感じた脳裏の煌めきに心が踊る。 ごめんおばさん。ジャム作りは一時中断だ。 iPhoneを取り出すと、私はその文章の続きをタップした。

いのり

10年前

- 完 -