彼岸探偵事務所・兄妹愛

多くの人で賑わう駅のメインストリートから古びた時計屋を右に曲がると、彼岸通という、突き当たりに寺を構えた通に出る。 彼岸通には不思議な店ばかりが並んでいた。 異国情緒漂う古着屋、薄暗い古書店、看板のない料理屋。不気味で、しかしどこか人を惹きつけるような店ばかり。 その一角、寂れた喫茶店の2階にそれはあった。 重く赤みのある木製の扉に填め込まれた磨り硝子、そこに金色の「彼岸探偵事務所」の文字が。

けあき

12年前

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「ここだわ。」 私はもう一度店の名前を見る。 ”彼岸探偵事務所”、あっている。 扉を開けるとチリンと鈴が鳴った。 いらっしゃいの声と同時に 黒猫がすり寄ってきた。 「お兄さんだね?」 「え…?」 「…探して欲しいのはお兄さんだ。」 「えっ、どうしてそれを?」 私は驚愕した。しかし、当たっている。 兄は数年前失踪している。 音信不通で生きているのかも分からなかった。

12年前

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「まぁ座って」 促された先にはアンティーク調の茶色い丸テーブルとふたつの椅子があった。少し躊躇う私の脚に、後押しするかのように黒猫が擦り寄る。 恐る恐る座ると、目の前にコーヒーカップが静かに置かれた。 「ようこそ、彼岸探偵事務所へ。君の訪れを待っていたよ」 もうひとつの椅子に音も立てずに座ると、彼の細長い脚の上に黒猫が飛び乗った。 「どうして私が来ることを…?」

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「僕は君のお兄さんを知っているからね。」 「兄を?」 「まぁ…順を追って説明するから、まずは自己紹介といこう。僕の名前は神門誠、よろしく。」 「…初めまして…私は平野あすかといいます。兄を探してここまで来ました…」 「落ち着いたかい?コーヒーでも飲みながら聞いてくれ。君のお兄さん…まさととは、ある事件をきっかけに仲良くなったんだ。」 彼は黒猫を撫でながらさらりと言った。 「ある事件?」

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神門はゆっくりとコーヒーを啜ると、昔の回想に耽るように天井を仰ぎ見た。巨大な扇風機がギイと音を立てながら回っている。 そのとき、僕は彼岸探偵事務所を設立したばかりの頃でね。まあ、設立したのにもいろいろと理由はあったのだけれど、当時はとにかく猫の手も借りたいほどに忙しかったんだ。君のお兄さんに出会ったのはその頃さ。僕の手伝いをしたいというんで、雇ってやった。 黒猫がどこか嬉しそうな声で鳴いた。

aoto

11年前

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「ところで…」 神門と名乗る探偵は、そこでふと言葉を切った。キラリと輝く瞳が、すべてを見透かすように私を捉えた。 「良いのかい。君はお兄さんを探しに来たんだろう」 「あっ、はい」 神門の話に聞き惚れていた私は、はっとした。 「あの。実は、私の兄がふらっと家を出て行ったきり帰っていなくて…警察に言っても取り合ってもらえなくて、それで、ここに」 「ほう。まさとがやりそうなことだな」 神門は微笑む。

kam

10年前

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「とにかく、いなくなった日の状況やその時のまさとの様子を詳しく教えてくれるかい?」 そう聞いてくる神門は全て見透かしているかのようだ。 「あっ…はい…。」 気を抜けばその瞳にとらわれて動けなくなってしまいそうだった。私は持ち合わせている限りの集中力を用いて、手帳を開きながら当時を振り返る。 「いなくなったのは…ちょうど1ヶ月前です…。晩ご飯には帰る、そう言い残して兄は早朝から出かけて行きました。」

noname

9年前

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「持っていったのは財布だけで、いつも持ち歩いてるスケジュール帳も置いていったんです。それにここのことが書いてあって、カレンダーにも印が……」 そこまで言うと神門は頭を振って溜め息をついた。 けれどその唇は弧を描いていて、苦笑めいたものを浮かべている。そして黒猫の顎をくすぐりながら口を開いた。 「迂遠だね。そして迂闊だ」 甘やかな視線を黒猫に向けたまま出された言葉は私に向かっていなかった。

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デスクの上の開いたノートパソコンから兄の声が答えたのだ。 「だから言ったじゃないか? 僕には隠密捜査なんて無理だって? 君には悪いけど僕には人望があるからさ〜。こうやって誰かが探してくれるのさ。まさか、妹とは思わなかったけどね〜」 「うるわしい兄妹愛だね〜?」 と言いながら神門がノートパソコンの画面を私に向けた。 そこに笑顔の兄がいた。 私のふたりへの罵詈雑言が止まらなかったのは言うまでもない。

- 完 -