歪んだ世界

ピピピピピ…… ピピピピピ…… ピピピピピ…… ピピ…ガシャン! またやってる。 何回壊せば気がすむんだろう。 携帯を目覚ましがわりにしたらいいのに。そうして同じように投げつけて壊してしまえばいいのに。そうしたら私は自由なのに。 ちょうど6時に聞こえる目覚まし時計とそれを壊す音。そして数分後に聞こえるこの家の所有者の怒声。私はこれを3ヶ月間毎日聞いている。軟禁されているこの家で。

naomi

13年前

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(寒い…、) 逃げる気力も無い私は、視線だけをドアに向け只うな垂れる。 窓も無いこの部屋にはエアコンが一台。 彼なりの配慮なのだろう、私が体調を悪くしないよう常に電源を入れたままにしてくれている。 腐りかけのご飯を足で押し退け、側にある毛布を身体に巻く。 …そろそろ、彼が来る時間だ。

13年前

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「おはよう」 ドアを開けていつものように挨拶をする彼は、黒いスーツに身を包み、人の良さそうなサラリーマン風に爽やかな笑顔を貼り付けている。 その顔を見ると、先ほどまで目覚まし時計を破壊していた人物だとは思えないなと毎回思ってしまう。 「おはようございます」 いつものように挨拶を返すと、いつものように彼は満足そうに頷き大きな暖かい手で私の頭を撫でる。撫でるだけ、撫でるだけで彼はそれ以上何もしない。

なつ

13年前

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挨拶をしなければ、恐らくただでは済まなかったろう。 この男が、優しげな笑顔の裏に深い闇を抱えていることを、私はここ数ヶ月で嫌というほど理解していた。 「…僕は仕事に行ってくるから、『大人しく』しているんだよ」 「はい。……行ってらっしゃい」 私は無表情のまま男を見送る。 「いい子だね」 そう言って浮かべた笑顔は、本当に----綺麗、だった。 …ふと、私は彼の名前を知らないことに気付く。

Rikotto

13年前

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名前を教えるつもりはないのかもしれない。 こんなことをする、ひどく歪んだにんげんだから、名前なんて呼びたくもない。 ただ、頭を撫でるだけ。 嫌な顔をしたり口答えしていた最初の頃は、冷たい水を頭からかけられたり、髪の毛をつかんで引きずり回されたりした。 殴る蹴るというのはない。 でも、暴力というのはそれだけではないから。やられたくなければ、なにも言わない聞かないのがベスト。 いつまでここに、

13年前

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なぜここにいるのかも、どうやって連れてこられたかもわからない。 いや、正確には思い出せないのだ。 それにしても寒い…。 少し温度を上げようとリモコンを操作していると、あることに気付いた。 リモコンの小さなディスプレイに【暖房】の文字。 ふと一つの疑問が生まれた。 私がここへ連れてこられたのは、春のはず。 3ヶ月ここにいたのなら、今は夏。 なぜこんなに寒いのだ…。

田中太郎

12年前

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まさか、ここは外国? いや、暖房器具は日本語表示だし、時々出される袋のままの食べ物も日本のもの。 この家だけ、時が止まっているなんてことが起こりうるのだろうか? 毎朝6時きっかりに壊される目覚ましは、どうやって補充されているのだろう? いつもの挨拶、いつもの手のひら。時間は進んでいるのだろうか? 彼だけにしか繋がらない携帯電話を手に取る。 口にしてはいけないことを、問いただしてしまいそうだ。

11年前

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実際のところ、時間感覚なんてとうにない。寝ても覚めても気怠く、遠い目覚ましの破壊音で朝と知る。3ヶ月と計算できたのは、男から支給されたこの携帯の表示があったからだ。 でももし、それらが偽装されていたら? ふと部屋に残されたままの食事に目が留まる。ありがちな菓子パン。袋には製造年月日が書いてあるはずで…。 「嘘…」 一昨日与えられたパンの袋には、私が捕らわれてから僅か一月後の日付が印字されていた。

11年前

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「気づいてしまったのだね。」 聞き慣れたあの男の声だった。 男は私を押し倒し、馬乗りになる。 「やめて、離して」 「なんで、そんな酷いこというんだい? 僕は君を愛してるんだ」 男は私の肩を握り、床に叩きつけた。 「君は僕しか要らないんだ。僕に支配される僕だけのものだよ。」 男はニヤッと笑った。 「違う、違うわ。」 叫んだ。涙がこぼれる。怖かった。 男の綺麗すぎる笑顔が。 「ここは二人だけの世界」

- 完 -