チョコレートパラダイス

チョコレートが小悪魔的に笑いかける。 ショーケースの中で煌びやかに、華やかに。その様子はまるで某アイドルグループが人の目を十分意識しながら雑談に興じているよう。 私は綺麗でしょ? 私は可愛いでしょ? 私は美味しそうでしょ? 私はその誘いに乗って、お気に入りを選ぶ。 シンプルな見た目の中に甘い甘いガナッシュを隠した澄まし顔のあのこ。 風味豊かなオレンジを包み込んだスマートなあのこ。 ああ、好き。

makino

11年前

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2月のチョコレートパラダイス。 バレンタインのための特設会場で、宝石のように輝くチョコレートたちが笑いさざめく。ショーケースの間を思う存分歩き回って、誘惑の声を聞いて。 「ご試食いかがですか?」 にこやかな店員の声に興味ある子達を指名すれば、差し出されるオランジェット、トリュフ、アーモンドプラリネ、ガナッシュ、チョコレートマカロン。 シャンパンを練りこんだ生チョコにふわふわと酔いしれて、至福。

11年前

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やわらかさを歯に浸して、 ブランデイの香りを漂わせ、スパイスの刺激を隠し持ち。 ひとたび手を伸ばせば、彼女たちは踊り出す。艶やかに、猥雑に。 「ワタシを買わずに帰って良いの?」 ピットからオーケストラが響く。 カンカン、カンカン。 ピンク、水色、緑色。ステージは極彩。そしらぬ顔のアノ娘も一枚剥げばとるとる溶ける。ごくり。 赤い風車が回りだす。 さあ歌え、踊れ、まだまだ。 スウィーツマストゴーオン。

noName

11年前

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チョコレートの香り漂うショコラティアなダンスホールで舞うダンサーと化した私は酔い狂うばかり。 これ以上には上がりようがないほどのテンションで会場を巡る私の目に飛び込んできた文字。 それが「ザッハトルテ大食いコンテスト」だった。 参加費は1500円。 制限時間は90分。 現在の1位記録は30個。 ザッハトルテは1種類ではなく色んな味の色んなサイズのものが出てくるらしい。 挑戦しようかな?

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数あるチョコレート菓子の中でも、ザッハトルテは格別。濃厚なチョコが練りこまれた生地と、まったりとしたクリームの間に、アプリコットジャムを挟んで。それが艶やかなチョコレートでぐるり、包み込まれている。そのピアノのような滑らかな光沢は、見ているだけでうっとりしてしまう。まさしくチョコレートの宝石箱だ。 名乗りを上げようと看板の下へ近づくと、見慣れた人影が目に入った。高貴な金髪の縦ロールが揺れている。

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かの有名なミシェル・ドーラ。 美しきショコラティエと称される若きレディ、パティシエールだ。 デパートのカタログ、女性雑誌、SNSに 彼女の美貌は世界のみんなが知っている。 たちまち人集りができ、ザッハトルテコンテストのエントリーが募る。 コンテストで出てくるザッハトルテの中には 彼女の作品もスペシャル・ショコラとして混じっているらしい。 漆黒のビターチョコレートにうっとり。参加しないわけがない。

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次から次へと出てくるザッハトルテを味わう内に私は既に大食い大会という本質を忘れてじっくりと時間をかけてショコラ達を楽しんでいた。 滑らかなチョコレートに包まれたふわふわと雲の様なケーキ。シンプルに生クリームの添えられたものから大胆にもラズベリーを丸ごと使った美しいソースで着飾ったものまで。気付くとあんなに時間をかけて食べていた筈なのにとっくに一位の記録を抜いていた。その数36個。まだ時間はある。

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そこへミシェルのザッハトルテがやって来た。チョコレートの光沢、色合い、質感…見ただけで確信できる。完璧だと。 私は一旦お茶で口の中をリセットした後、再びザッハトルテに向き合った。フォークで一口取り、口へ運ぶ。 その途端、口の中でチョコレートが広がった。 今まで口にしてきた36個のザッハトルテからなる私の「脳内ザッハトルテ番付」に彗星と共に現れ、一位の玉座へ優雅に腰を下ろす。 …素晴らしい。

8年前

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そこには甘い香り漂う小宇宙が存在していた。周りのざわめきや現実の細やかなものもの全てが、チョコレートの銀河に溶けて美しく渦巻いて消えていく。 濃厚、目眩、窒息。 気を失いそうな幸福に喉を支配されつつ、最後の一欠片を飲み込む。 会場が湧き、美しいミシェルが近付いて来る。 彼女はチョコレートそのものだ。私はチョコレートパラダイスの魔力に取り憑かれ、その溶けかけの唇を奪っていた。

- 完 -