とある集落に、白塗り壁の立派な屋敷があった。そこはかつて金持ちが別荘として建てたものであったが、今では人っ子一人居ない廃屋として鎮座している状態である。──表向きには、だ。 屋敷の奥には特別な子供がいる。何らかの理由で身体に魔物の類を封じられ、それを出さないように子供ごと外から隔てているのだ。 集落の間では公然の秘密となっており、住民は普通の生活を営みながら、密かに屋敷の監視をしていた。
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魔物を封じられた子供は、腹が空かないらしい。魔物を封じた時に子供の人としての欲と成長を奪ったのだ。 時は流れ平成の世になった。魔物の存在は伝承として残っているが、真実を知る者は既にいない。 屋敷は不思議と昔のまま、美しい白塗り壁を保ち、過疎化の進む集落に不釣り合いな様子だった。 この屋敷の存在がネットで広がり始め、屋敷に忍び込む者が出てきた。
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「ねえ、朱里。やっぱり止めようよ〜」 「大丈夫大丈夫!本物の魔物が出てきても、あたしの空手で明日香を守ってあげるから」 しゅっ、と足を回す朱里。 運動神経抜群な朱里と勉強のできる明日香は小学生からの長い付き合いだ。 「いくら朱里が空手の名人でも、危ないよ〜。…それに私、さっきから気分が悪くて」 うっと口を押さえ、明日香はよろめいた。その手が白塗りの壁に着いた時ーー バタンッ‼︎
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「ひっ」 明日香の細い手が朱里の腕を掴み、その勢いに明日香の肩も飛び上がった。 その後は、物音一つしない。 ただ二人の怯えるような吐息だけが響いていた。 「ね、ねえ」 もう帰ろう、と言う言葉は喉の奥に消えた。 誰かが、後ろにいる。 振り向かなくてもわかる。 じっと、こちらを、見ている。 金縛りにあったように二人の体は動かなった。全身から汗が吹き出ているように感じ、気持ち悪くなる。
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二人の固まった背中に、ふわりと柔らかいものが触れた。 驚きの余り、声の出し方を忘れる。 我慢できず、二人は目に涙を溜めながらゆっくり振り返った。 そこにいたのは小さな女の子。 5、6歳くらいだろうか。切り揃えられたおかっぱは艶やかな射干玉色。可愛らしい姿だったが、こちらを見つめる柘榴の瞳だけが唯一異様だった。 二人の挙動の意味がわからないらしく、上げた手を下ろすのも忘れ、小首を傾げている。
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「え、えーと、あなたは何処の子?」 朱里が、少し上ずった声で問いかけるが、少女は曖昧に微笑んだままだ。 「どこから来たの? まさか、ずっとここに…?」 自分で問いかけながら、明日香は奇妙な感触を抑えきれない。胸をかき回されるような、吐き気に似た何か。まるで人の感情がどろっと流れ込んでくるような。 怒り、哀しみ、何だろう、この感じ── 『…外に連れて行って?』 その声は、明日香の脳裏に直接響いた。
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明日香は思わず自分の耳に手をあてた。少女の声はそれでも聞こえ続ける。 『外に出たいの』 そういう少女からは得体の知れない物を感じた。可愛い容姿からは考えられない黒い塊が溢れ出るような感覚。脳裏に直接響く声と合わせれば彼女が普通でないことは容易に想像できた。朱里は明日香よりもこういうものに耐性があるようで少女に話しかけた。 「ずっとここにいたの?ひとり?」 少女は首を振る。 『…もう一人いるよ』
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そう言うと、少女は自分の腹を押さえた。 『ずっと昔から此処にいる。だからお腹も空かないし、背も伸びないの』 二人には少女が何を言っているのかわからなかった。 それでも、少女が嘘をついているとは思えなかった。 「その、お腹の奴って……どうにかならないの」 朱里がおずおずと尋ねると、少女は首を振った。 『それは無理。時が経ち過ぎたから。でも、私の体はそろそろ終わる』 だから外に出てみたい。
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私達は顔を見合わせた。 「わかった、私達と出よう」 少女の手を握り出口へと。歩いていると何かに躓いた。目を凝らして見るとそれは小さな骨の固まり。子供位の。 その瞬間背筋に悪寒が… この手は誰?嫌な感じがした。 「明日香!走って!」 私達は無我夢中で走った。脳裏に響く声はもはや少女の声では無い。 ──私達は屋敷の外で倒れていた。 見上げるそこには美しい白塗りの屋敷が何も無かった様に鎮座していた。
- 完 -