ミス・マーダーの憂鬱

ナホコは最初、頬を伝う液体に驚きを隠せなかった。が、次第に笑いがこみ上げてくる。 「ふふっ。まだ私にも心ってものがあるのかしら。」 肌は若い頃のハリを失っていたが、彼女にはそれ以上の美しさがあった。 殺し屋、それが彼女の仕事だ。30年もこの仕事を続ける彼女は、他に生きる術を知らない。 テキパキと目の前の死体を処理し、彼女はまた次の仕事場へと向かう。 涙を拭いたハンカチは捨ててしまった。

6年前

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「ナホ、生き別れの弟を殺した気分は?」 「辛かったわ」 冗談だろ、とジョーンズはげらげらと笑った。 その仕事の報酬で南国を楽しみ次の依頼を受けに来たのだ。 「依頼はあるの?ないの?」 「こいつを頼みたい」 書類が木製の机に差し出された。子供の手を引く女の写真がクリップで止められていた。 「どっち?女の方?子供の方?」 ジョーンズは皮肉な笑みを一瞬浮かべ、この女は殺し屋だと言った。

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「まあ、それはそれは…私なんかで大丈夫かしら?」少しおちゃらけた返事にジョーンズが返す。 「おいおいまさか!もしかして弱気になってんのか?」 「そんな訳ないでしょ?冗談よ。」 そりゃそうだな、と言ってジョーンズは机の引き出しから紙を取り出した。 「これはあの女、スイという。そいつの情報だ。」 ありがとう、と言って目を通す。 情報量が圧倒的に少ない。 情報を与える隙を作らない、ということかしら。

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女はとある組織から抜けた殺し屋のようだった。 その組織が女を始末するために私に依頼したのだ。 「この子供はこの女の子?」 「さてね、まさかどこかで拾った子でもあるまい」 それらならばこの子が、この女の弱点となるだろうか。この世は弱肉強食の世界。弱みを見せたものが殺られるのだ。 ナホコは骨の髄までこの業界に馴染んでしまっていた。 「わかったわ。また連絡する」

Utubo

6年前

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ナホコの手際の良さは、誰にも負けない。年こそ若いが、殺し屋の腕はピカイチだった。 あっという間に、女の居場所を突き止め、車の中で待ち伏せる。女は子供とともに現れた。子供を年老いた女性に引き渡し、女は黒いベンツに乗り込んだ。運転手がいるようだ。今はやめておこう。1人の時を狙うのが賢明だ。 「ジョーンズ? スイはボディガードをつけているみたいよ?」 「だからなんだい? 組織は彼女を殺せと言っている」

Dangerous

6年前

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全く、上の人間というものは現場の苦労を知らない。裏家業であろうが、堅気であろうが、その性質はどこも同じらしい。 「手を借りたいのだけれど、人足の当てなどあるかしら?」 「生憎さ。それに、以前君はボディガードもろともターゲットをあの世送りにした実績があるじゃないか。今回もいい仕事を期待しているよ」 通信はそこで切れてしまった。つまり、多少手荒な方法を使っても構わない、ということらしかった。

aoto

6年前

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「ケビン。迎えに来たわよ」 ニコニコとこの世の汚い物など知らない顔の女が照準器に写し出される。 機械越しに聞こえるスイの声は弾んでるようだった。 同じ穴のムジナの癖にえらく陽気な声を出すのね。 そんな事を思い無表情に引き金を引いた。 子どもには生憎とトラウマを植え付けてしまうけれどそれも仕方のないこと。 「あら……」 ガシャンと大きな音を立てて倒れたのは花瓶。 まさか私が狙いを外すなんて。

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照準器の端に映り込む、ケビンの顔が弟の顔に重なったのだ。ナホコは笑った。 「ガタがきたのかしら。初心に帰れってことかもね」 ナホコは手元にある爆弾のスイッチを押し、ビルの屋上を走り出した。ライフルで彼らを袋小路に追い立てる。その間にも、爆弾はスイとケビンの逃げ道を着実に潰して回る。 標的を仕留める為にどんな手も使う。それが始業以来のモットーだった。 ケジメをつけなきゃね、とナホコはナイフを握る。

6年前

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「なんて杜撰なやり口」袋小路に追い詰められたスイは、ケビンを背後に回し、冷静に言った。 「あんた達見てたら、なんだかむしゃくしゃしたのよ」 ナホコは、手にしたナイフに力を込める── とその時、背中に鈍痛が走った。 「なぜ…」 ケビンは自重めいっぱいかけて、ナホコの背中を貫いていた。 ──スイは組織を抜けた後、殺し屋の芽を育くんでいた。 「さすがだわ、ケビン」 幼き殺し屋は、ニヒルに笑う。

- 完 -