悲劇と喜劇の幕開け

「今夜の舞台は此処か」 男は眼下に広がる景色を見渡す。 景観をこわすような高層ビルは一切存在せず、その代わりに大聖堂や塔が至る所に建っていた。 中世ヨーロッパの街が現代に残っている感じだ。 今、男は街で最も高い塔の上に立っている。 月光を背に浴びているので、顔は陰って見えないが、赤く光る目だけは暗闇の中でもはっきりと分かった。 「さぁ、悲劇の幕開けだ」 そう言って、男は姿を消した。

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「今宵も神のご加護がありますように」 聖堂の中。マリア像に向かって祈りを捧げる女がいた。大聖堂が建ち並ぶこの街でここに立ち寄る者は女しかいない。 それ程までに知られておらず、また入り組んだ場所にあるのだ。高さもないこの聖堂は横から見ても周辺の高い建物に隠れてしまう。 それでも小綺麗なのは女が毎日掃除をしているからだ。 胸にかけた十字架を握りしめ女は言う。 「さぁ、喜劇の幕開けよ」

ハイリ

11年前

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男はふわりと宙を舞う。やがて街灯疎らな街の外れに靴音が響き渡った。男はこの街唯一の飲み屋のドアの前に立つ。 「ここは美味そうじゃないが、仕方ない」 男は店内に入ると、カウンターには目もくれずテーブル席で酒を飲んでいる若い女に向かう。男は女のテーブルの隣の席に座り、女に視線を送る。 「悲劇の幕開けには物足りないが」 「何の話?」 「悲しい話は嫌いか?」 男は女の肩を抱き打れにも気づかれぬよう首筋を、

11年前

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(なぬ⁉︎ この匂いは…⁉︎) 「どうかした?」 女は男の視線の先をみやり、ああこれが気になるのね、と首からそれを外して見せた。 「ガーリックで作ったネックレス…」 「ええ。匂いがきついかしら?」 「特には。ただ、印象に残るな。それで話を戻すが、悲劇は好きか?」 「悲劇?そうねえ…」 女が考え込む。その首筋に今度こそ… ガツン☆☆☆ (何これ⁉︎マジ固い!) 女の首に見たものは…

ゆりあ

11年前

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「初対面で迫るなんて大胆ね」 その首の表面は他の女と変わらずに滑らかである。しかし、匂いが独特だ。 血でない鉄の香りがする。 「機械…!」 「部分的に移植されてるの。人の技術って凄いでしょ?」 女がこちらに上肢を捻る、と豊満な胸の間から嫌な気配がした。 「私は悲劇なんて嫌いよ。楽しくなきゃ人生じゃないもの」 女は余裕を持った笑みと拳銃をこちらに向けた。

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「パーン!」 と言って、女は銃口から飛び出た一輪の薔薇を俺の髪の毛にさしてきた。 「かわいいわね。似合ってるよ」 「薔薇なんて棘のある花は願い下げだね」 俺は薔薇を手に取ると、 「これは君にこそ似合う」 と、女の手に渡す。 「ごめんね、でもこの拳銃、本物なんだ。ねえ、安全装置の取り外し方を教えてくれないかしら?」 どこまでも、人をおちょくるのが好きな女である。

aoto

11年前

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しかし、女の手から拳銃を取り上げる良い機会だ。女はすんなりと男の掌に拳銃を置こうとして、そしてーー 「どれ、見せてみ…」 バーン! そう言い終わらないうちに、銃口から弾丸が発射された。弾は、煙を上げながら壁にめり込んでいる。 誤射ではない。女が渡す手前で素早く引鉄を引いたのだ。 「あら、ごめんなさい。危うく身体に穴が空くところだったわ。まるで喜劇ね」 女はどこまでも無邪気に微笑んだ。

star*gazer

11年前

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くそ、全く面倒なことになった、男は心の中で嘆息した。眼前の女は何を考えているか分からないが、男にはなす術がない。 男は飲み屋から逃げるべく出入口に向かうが、そこには待ち構えていたかのように人だかりができていた。彼らは女が拳銃を持っていることを理解しているのか? だとしたら…。 人だかりに阻まれているうちに、女は男に追いついた。懐に銃口が突き付けられる。 「…俺はどうしたらいい」 男は両手を上げた。

mani

11年前

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「そうねぇ…だったら…」 女は男の前に寄り、耳元で何やら囁いた。 「なるほど…俺の負けだ」 「そう、劇は幕引きの時間よ♡」 そして女は、苦笑いを浮かべる男の首筋を噛んだ。 「…もしもし?古の種族の『DNA情報』を吸い取ったわ」 《OK。こちらに転送してくれ》 プツッ…。 「フフッ、現代の種族は進化を遂げているの。主役を演じきれなくて残念ね♡」 その女の笑顔には、街の光で輝く牙が見えていた。

hyper

11年前

- 完 -