彼女は夜、 ……ご用心。

『ら〜らら、は〜やく死んじゃえよ〜。むーしろわたしが殺しちゃう〜。てーんごくー……』 と、帰宅した我が家のドアの向こうから「大きな栗の木の下で」の変な替え歌らしきものが聴こえてくるので開けるのを躊躇ったけれど、ひどく胸騒ぎがしてガッと開けたら同棲中の彼女が今まさに包丁を振り下ろすところだった。 何に? 女の人の背中に。 「おかえり、吉田くん」 「……ただいま、月子」 いつもの会話が新鮮すぎる。

nanamemae

12年前

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「今日の夕飯は肉じゃがよ」 月子はにっこりと微笑んだ。 「そ、そうか」 いや、夕飯の話をしている場合じゃなくて。 「その、……なにをしてるんだ?」 情けなくも、声が震えてしまった。 「見れば分かるでしょう」 彼女は楽しげに言う。 「佐伯優を天国へ送ってあげるのよ」 「え!佐伯⁈」 僕は慌てて倒れた女の人に駆け寄った。 「おい、月子。どうして……」 「だって、この女は吉田くんを誑かしたじゃないの」

朱雀 

12年前

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笑顔の月子。いつもの笑顔の月子。 「さあ、お味噌汁を温めないと」 恐ろしさに目が離せないでいる僕を振り返り 「何してるの?着替えて手を洗ってこないとご飯に出来ないよー」 にっこりと笑い追いやるような動作でおどけてみせる。 しかし、キッチンに向かいながら 「今日の肉じゃがは隠し味が入ってるの」 と、妙に平坦な声で言ったんだ。 隠し味ってなんだよ、怖いよ。 ていうかご飯なんか食べられる訳ない。

makino

11年前

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「ご、ごめん月子。今日は食欲ないんだ」 「…へぇ」 振り向いた彼女は文字通り無表情だった。 「私の作ったご飯、食べてくれないんだ…」 まずい。選択を間違えた。 ゆっくりと近づいて来る彼女を前に、僕は足がすくんでいた。 「ねぇ、吉田くんも私から去って行っちゃうの?」 こうなったら… 「そんなわけないだろ?僕は君だけを愛しているんだから」ギュ 「吉田…くんっ」

こん

11年前

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「離さないよ•••これからずっと一緒さ、月子」 嬉しさと恥ずかしさで真っ赤になった彼女に、僕は優しく囁いた。 「ほ、本当に•••?」 「ああ、誓って約束する。僕はもう、お前のことを手放したりなんかしない。月子のことが、この世で一番好きだから•••」 そう言って、僕は彼女の小さな躰を力強く抱きしめた。 恐らく、これで月子の暴走も収まるだろうと予想していた僕だが、それは大きな間違いだった。

11年前

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「じゃあさ、なんで佐伯と話してたの?わたしだけを愛してるんだったら、私だけを見てくれなきゃ。」 潤んだ瞳で見上げる。 「あいつは、高校の同級生で、偶然あったからちょっと話しただけだよ。」 その瞬間、彼女はものすごい力で僕の腕を握ってきた。 「嘘よ。偶然会って、お茶までするなんて完璧に浮気よ。私がいるのに他の人とデートなんて。」 「でーと!?誤解だよ。」 必死にとりなすが、全然聞き入れてもらえない。

Dangerous

11年前

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「だからあなたのケータイから連絡して、佐伯優を呼びたしたの」 …え? 僕は慌ててケータイを開き、愕然とした。 履歴がちゃんと残っている。これじゃ僕が彼女を刺したみたいじゃないか⁈ 血だまりに倒れたままの佐伯が、う、と呻いた気がした。そうだ、こんなことをしてる場合じゃない、早く彼女の命を救わなきゃ… 「さあ、今日の肉じゃがは特製よ。あーん」 月子は肉じゃがを僕の口に無理やり押し込んできた。

11年前

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(うぐっ・・・もぐも…ぐ) な、何だ。美味しいというy…rい、苦・・・ なんなんだ。身体が痺れて来た。右手を動かしt…動かない! というか、呼吸するのもかったるいし、心臓もバクバクしてr 「ふふっ♪ 美味しいわよね。天国に行っちゃいそうなお味よね。たーんとお食べ♪」 ………。 「今までありがとうね♪ 二人で仲良く…、逝ってらっしゃい」 薄れてゆく意識の中、玄関から出て行った気がした。

響 次郎

11年前

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がっ。誰かが誰かの足首を掴んだ 「離してっ!何故まだ生きているの」 包丁振り下ろした姿が月明かりに照らされた血溜まりに映った *** 「刑事さん、これ。不思議な事件ですよ」 殺害現場には、一人の男と女の死骸が横たわっていた。彼らの名前は 望月月子と吉田実。 そう、みなさんはお分かだろうか?ーーそこに佐伯の名前がないことに。 一言、肉じゃがごちそうさまでした と書かれた便箋が置かれていた。

talia salt

11年前

- 完 -