桜を喰らう妖

~2013夏フェス参加作品。テーマ「ホラー~ 月の隠れた夜。 薄暗い闇の帳が降りる中、その並木を訪れると、笑い声が聞こえてくるという。 くすくす。 くすくす。 この並木は、春になれば見事な桜を咲かせるんだよ。 世界中が同じ木を親に持つ染井吉野。 どうしたら他のものよりも見事な花を咲かせられるんだろう? もっともっと豊かな栄養が欲しいな。 そうだ。 ここに迷い込んだ人を、食べちゃえば……

白月羽

12年前

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向こうから、一人の男がやってきた。 甚平を羽織り、痩躯な腕、色白な顔はとても健康であるとはいえない。 「えり好みもできない。こいつにしよう」 桜は人の姿に化けた。 可憐で、病弱そうな容姿の女である。 桜色の着物を身にまとい、木の下で二度、三度咳をつく。 「あなたもお体が悪いのですね」 自分もたいそう息があがっているのに関わらず、男は桜の体を心配した。 「おぶっていきましょうか」

aoto

12年前

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頬骨の高いやや面長なその男は、意外と端麗な顔をしていた。 顔色は悪いが、やんわりと微笑む口許に優しさが漂う。人の良さがうかがい知れた。 「……起きるのに手を貸してくださらないかしら?」 桜はしどけなく口許に手をあててみせる。 男はうなずき、桜を幹から腕の中に抱き起した。 不健康に見えた腕は意外なほどに力強く、そのことに桜は違和感を覚える。 この男、まさか。 間近なところで、目と目が合った。

12年前

- 3 -

「あなたも人ではないようですね」 男の腕は桜を捕らえたままだった。 桜は男から目をそらす。 「桜の精を喰えるとは、運がいい」 男から逃げようとする桜。しかし抗えない。 「この地の桜がみられなくなるのは惜しいが」 男は桜の胸元に手をあてた後、心の臓をえぐりとろうと桜の白い肌に爪をたてる。 痛みを堪えながらも、桜は男の生気を吸い取ろうと男と唇を重ねる。

12年前

- 4 -

桜が貪る様に生気を吸い取り始めると、男の口は巨大な鋏になって桜の唇から顔半分をすぱりと切り落とした。 桜の顎は桜色の血飛沫を流したが、直ぐににょきと新たな顔が生えた。 「あんた髪切虫だね。木を喰らい、女の髪を喰らい、ついには心の臓迄をも喰らう下属な妖怪に身を落としたか」 言い終えると桜の二つの乳房は枝になり男の腕に巻き付いた。 「生気を喰らうあなたに言われたく無いものだ」男は顎鋏を激しく鳴らす。

真月乃

12年前

- 5 -

闇の静寂の中、対峙する物の怪。 緊張感が切迫し、森は風にざわき、獣達が、虫達が、まるで今、目覚めたかの様に騒ぎ立てた。 辺りを侵食するような暗がりを、白銀のような月が、色彩の無い世界を柔らかく灯していた。 男は、その顎鋏で桜の乳房枝や四肢を幾度と無く切り落としたが、 桜は無数に枝別れ、花を咲かせ、夜桜に桜吹雪を舞わせ、男を惑わした。 その姿、人型と同化しており異形だが、 得も言われぬ美しさだった

唐草

11年前

- 6 -

勝負はほんの一瞬だった。男が激しい桜吹雪に顔を背けた瞬間、桜はすかさず男の頭を丸呑みした。心の臓にとどめを刺すことも忘れずに。 視覚を失くした男は少し立ち止まった後、力無く崩れ落ち、井守の千切れた尾の如く痙攣した。やがて動かなくなった身体を桜は拾い上げ、しゃぶるように腹にしまった。 散々な目にあった。男との戦いで傷つき、人間に化けられるのはあと一度きり、それを逃せば一生みすぼらしい桜になる。

ゆりあ

11年前

- 7 -

空虚な妖を一匹喰らったところで、桜が満たされることはない。 「この飢えは、やはり燃える命を持った人間でなければ満たせない」 次こそは上質な餌を捕らえてみせよう。 くすくす くすくす 獲物を呑む瞬間を想い、桜は笑みを零した。 その声が胎内で木霊したかのように、腹の中で何かがもぞり、もぞりと蠢めく。 不快な感覚に美しい顔を顰め、桜はそっと腹部に触れた。 「まさか、お前…」 身中が切り裂かれている。

香白梅

9年前

- 8 -

切り裂かれた腹部からは刃物が覗いていた。 それと同時に、傷口から勢いよく出た血飛沫が地面を真っ赤な紅に染めていく。 本来再生するはずの傷口は一向に元には戻らない。 意識がゆっくりと反転していく。 最後に見えたのは、男の真後ろに咲く見慣れた美しい桜だった。 ____。 あれから季節は過ぎ、何千回目の春を迎えようとしている。 相変わらず人気の無い山桜の幹で、 彼女は人を待っている。

ユキト

9年前

- 完 -