志野介~野望への反旗~

時は江戸時代。 満月の暗闇の夜、とある大名の前に1人の忍びが現れた。 怯える大名の前に忍びは一言「天誅」と言い、籠手に仕込んだ暗器で大名の喉元を刺し殺した。 物音に気づいたのか、下から家来たちが駆け込む足音を聞こえた。 暗殺を完了した忍びの者は急いでその闇へと、消え去った。

12年前

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殿の横死の報を受け、筆頭家老の進藤玄蕃頭は大いに狼狽した。無論、主君の暗殺という事態は大事だが、それ以上に殿にはまだ世継ぎがなかったことが大問題であった。ことが公儀に知れればお家断絶は免れず、藩に仕える何千という家臣が浪人と化すのである。 進藤は下手人を探させる一方で、藩が取り潰されぬよう一計を案じなければならなかった。 「そうだ。彼奴を使おう」 亡き殿にそっくりな青年に心当たりがあった。

saøto

12年前

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「頼まれてくれるか」 問われ、志野介は無意識に空を見た。 『空が綺麗な日にゃ、しっかり働きなさい。そんな良い日にやれる事を一所懸命にやれば、きっと良い事が起こるよ』 亡き母の口癖が、志野介の背中を押す。 志野介は、喋る事が出来ない。医者にも理由は解らなかった。物が言えない自分であれば、大人しくしていればそうそう襤褸は出さないだろう。 藩の大事にお役に立てるのであれば。 志野介は、頷いた。

ナゾグイ

12年前

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志野介の決意によって、藩は取り潰しの危機を免れた。殿は重病を患ったが、声を失った他は無事に快癒した、という触れ込みだった。藩政の大半は進藤が取り仕切った。もとより政に興味の薄い主君であったことが幸いした。 しかし、それを面白く思わない者たちがいた。警護を潜り抜けて、再び忍びが殿となった志野介の前に現れたのだ。 夜目のきく志野介は驚いた。顔を隠していてもわかる、忍びは志野介がよく知る人物だった。

lalalacco

12年前

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児太郎。 志野介と同じ長屋で兄弟同然に育った幼馴染。 家臣の目は騙せても二人はお互い一目で分かった。頭巾から僅かに覘く目が狼狽する。 「何故ここに…」 児太郎の問いに、志野介は喉元の包帯を指差す。 「そういうことか。策士進藤め」 児太郎は暗器を取り出し志野介ににじり寄るが、その手は震えている。 幼い志野介と、その母の顔が脳裏から離れない。 「進藤に気をつけろ」 児太郎は一言残し姿を消した。

黒葉月

12年前

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志野介は暫く茫然となる。あの児太郎が暗殺を…目にしても尚信じ難い。義に厚く聡い児太郎を志野介は尊敬し、実の兄の如く慕ってきた。彼の行いには余程の事情がある、と察した。 忠義、奉公と指図の儘勤めていた志野介は以後、細かく耳目を配らせるようになった。と、用人らの陰口に驚くべき噂を聞く。 今の偽藩主に仕えるも先の偽藩主に仕えるも同じ鬱。御存知か、進藤狸に暗殺されたらしき真の殿は密かに御存命とな。

Pachakasha

12年前

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つまり、存命である真殿が虎視眈々と席を狙っていることに他ならない。合間見えることがあるならば、害された恨み辛みをも志野介が引き受けることになる。 児太郎の言葉はこのことを示していたのか。 志野介は合点いくと同時に、進藤に対して底知れぬ恐怖のようなものを感じた。何故、真殿を廃せねばならなかったのか。それは、進藤が采配を取り仕切りたかっただけではないのか。 しかし、真偽を問う術を志野介は持たぬ。

aoto

12年前

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明くる日、常と変わらず登城した進藤玄蕃頭は、志野介の前に平伏して形式的に政務の報告を述べた。忠臣の鑑のごときこの男が、本当に野心の権化なのか。 「先日、城に曲者が侵入しましてな」 不意に進藤が言った。 「我が手の者が、始末してござる」 児太郎が、討たれたというのか。動揺する心中を見透かしたかのように、進藤は面を上げて志野介を睨み据えた。 「…うろたえるな、志野介。真偽善悪は己が目で見極めよ」

hayayacco

12年前

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ことの終わりはあまりに悲劇的かつ憂いの渦にあった。 常軌を逸脱したヒトの野望に志野介は漠然とした虚無感を覚えた。 真殿への救済が如何許りの無謀さを誇るかなど考えている時など一刻も無いのだ。 立ち上がる眼前に進藤が待ち構えている。 怨恨たる眼差しに進藤が一歩後退した。 「名だけはあるな波多野家五代目、最後の生き残りは貴様だ志野介」 「この世の善悪には逆らえぬと」 これが志野介の戦いの始まりである。

12年前

- 完 -