間違い探し

「アイカワだから。」 不機嫌な鮎川が好き。 名前を呼ぶ。 それだけで不機嫌になってくれる鮎川が好き。 「アユカワさ、」 「アイカワだから。」 「ギター弾けるよね。」 「ベースだから。」 「今度弾いてよ。」 溜息をつく、鮎川が好き。 「カタオカさんさ、俺の話、聞く気ある?」 「聞いてんじゃん、いつも。ちゃんと。」 溜息をつく、鮎川が好き。

sakurakumo

10年前

- 1 -

このやりとりが続くと、鮎川は物言いたげな目をする。その瞬間も好き。 「俺、もう部活行かないと。」 「今日はギター弾く?」 「だからベースなんだって。」 「軽音部なのに。」 「いや吹奏楽だし。」 溜息をつく、そんな鮎川がやっぱり好き。 弦楽器が弾けるなら、ギターかベースの違いなんて私には関係ない。 私にとって鮎川は…── いいや。まだ言わない。 とりあえず今は、鮎川に溜息をつかせたい。

おやぶん

10年前

- 2 -

鮎川の部活が終わるまで、私はいつも待ってる。自習している振りをしながら、誰もいない教室で待ってる。 でも、いつも一緒に帰るわけじゃない。鮎川が南さんと歩いていたら、私は今度こそ自習を始める。 いつも。ずっと。今日もまた。 分かってる。南さんには敵わない。 あの子はきっと鮎川を笑顔にしてる。 私は溜息をつかせている。 ただ「アユカワ」と呼び続ける。それが私の苦し紛れの戦略。

夏草 明

10年前

- 3 -

同じ間違い。何度も何度も。やれやれと言いたげな顔を見るのが、好きで。 本当は知ってる。 鮎川がアイカワで吹奏楽部でベースだってこと。 勿論知ってる。 南さんとはちょっと特別なんだってこと。 同じクラスの春川にまた、怒られた。 「お前さー、ギターとベースって全然別物だから。鮎川のことアユカワとか別にいいけど、そこだけ間違えてやんなよな」 どこぞのミュージシャン気取りの、鬱陶しい髪型。

- 4 -

春川は呆れたように私を笑った。 まずは髪型を直してからだな。 春川は何かにつけ私を気にかけてくれるつもりなのだろうけれど、面倒だ。 愛想よく返して、教室から一時退散の戦略を取った。 窓から見える夏色の木々は緑の濃さを深めている。 近々文化祭が始まる季節だ。 吹奏楽部も繁忙期に差し掛かるだろう。 そしたら、鮎川の帰りも遅くなる。 ベース弾けたらよかったかな。 向こうから南さんが歩いてくる。

aoto

10年前

- 5 -

南さんと、目が合った。 目をそらすのも違う気がして、あまり話したことのないくせに、今から部活?なんて声かけてしまう。 南さんは頷く。 「片丘さんは今日も自主?いつも頑張ってて、すごいね」 たぶん、私、今、顔真っ赤だ。 南さんに、見透かされてる気がした。 南さんは、えくぼを作って聞いてくる。 「そういえば春川くん見なかった?」 教室にいたよ、と伝えるとありがとうと笑顔で言い教室へ去っていった。

じんしん

10年前

- 6 -

階段の踊り場に鮎川はいた。 ベンベンと楽器を弾いている。 「よ、アユカワ」 「アイカワ…」 鮎川のため息に安心する。 「まだ帰らないの?」 「うん、ちょっと人を待ってて」 ああ。 気を抜くと黙ってしまいそうになり、そう言えば、と絞り出す。 「ギター弾いてるとこ、見るの初めてだ」 「だから、ベースだって」 上靴の先を見つめながら階段を降りる。 ベースの音は意外と地味だな、と思った。

- 7 -

「ねえ、アイカワ」 ばっ、と鮎川は顔を上げてこちらを見た。低くベンベンと耳に心地よかったベースの音が中途半端に止んだ。 その呆けた顔を春川の顔と脳内で比べて、あぁやっぱりアイツとは違うなと妙に納得した。 口を開く。 でも、何も出てこない。 当たり前だ。言いたいことなんてないんだから。言うべき事は何もない。 南さんの顔がちらつく。 ないということにしておいて欲しかった。私の気が済むまでは。

- 8 -

「うん、ちょっと人を待ってて」 自然と嘘が口から零れる。いつも名前を間違えられるから潜在的に仕返しをしてやろうと思ってたのかもしれない。 だけど片丘さんの様子を見て、すぐに後悔した。この人なんかいつもと違う。 胸の中に、もやもやとした不安が広がる。マズい、止めなきゃ- 「ねえ、アイカワ」 言われてしまった。 だけど、まだ間に合う。 * 不機嫌な鮎川が溜め息を吐く。「カタオカさんが-」

- 完 -