あなたに目覚めの一筆を

机の端っこに書かれた「眠い」という小さな言葉に気付いたのは、確か5回目の移動教室の時だった。 選択科目の美術は、少し日当たりの悪い美術室で行う。絵が得意でこの科目を選んだのだけど、ほんのちょっと暗めのこの教室は、いつでも頭がぼんやりする。 だからなんとなく、「わたしも」とその横に書き添えてみた。席は毎回自由なので、返事は期待していなかった。 けれども次の移動教室の日、新たに文字が増えていた。

かおりこ

12年前

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「そうなんだ。」 単純な返事が書いてあった。 私は、 「あなたは、一体誰ですか。」 と書いた。 その後、返事は来なかった。 三週間たっても返事が来ないので、私は 「明日の放課後待ってます。来てください。」 と付け加えた。その日の授業は、全然集中出来なかった。 そして、やっと放課後… 私は一時間待っただろうか。もう帰ろうと思ったその時、足音が聞こえて来た。 そして、目の前に現れたのは… 「…‼」

欄キスxxx

12年前

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先生だった。美術を担当の平柳先生。 「どうして先生がここに?」 そう問いかけると、先生は少し驚きながらこう言った。 『君が呼び出したんじゃないか。』と。 そう言われて思い当たるのは、五限目に机に書いたあの言葉。ということは、もしかして・・・。 「あの。『眠い』って書いたのって、先生ですか?」 「あぁ。正確には『彫った』だけどな。・・・机を彫刻刀で傷つけた奴が美術なんて、笑っちまうよなぁ・・・?」

kana

12年前

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先生は私が書いたって 知っていたのですか? んあ? 知ってたよ なんで返事したの? 先生は少しずつ近づいてきて 急に怖くなったから後ずさりしてしまった

きんぐ

12年前

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さて、何ででしょう。 先生は限界まで近づいて、顔を寄せた。 綺麗な栗色の目に吸い込まれそうで、私は息を詰める。 「ま、単純に君に興味があったからね」 「興味…?」 パッと離れた先生の残り香が鼻腔をかすめる。甘い大人の、男の匂い。 「君の絵、センスあるよ」 ーーだからさ、 「君の才能を試してみない?半年後にあるコンクールで。指南はもちろん、俺」 トクンと鳴った鼓動が一つ、それは私の心臓だった。

ミノリ

12年前

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あのとき、「はい」と答えてしまったのが間違いだった。 いざコンクールに向けて絵を描いてみると、先生は私のほんのちょっとしたミスにもチクチク皮肉を言ってくる。「へえ、そこでそんな色使うんだ」とか、「バランスずれすぎてるけどそれは何か新しい美術的試みなの?」とか。 それに先生はあれ以来私を一度も褒めてくれない。少し苛立ちを覚えた私は、「絵描くのつまんなくなっちゃった」と先生に言った。 そしたら先生は

noname

12年前

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「なら、やめればいい」 出席簿など七つ道具たちを、小脇に抱えて先生は出て行ってしまった。 何が起こったか理解するのに時間が掛かったが、腹に落ちた途端、猛烈な怒りとか悔しさとか、そこらへんの感情が一気に押し寄せてきた。 センスあるよって声掛けてきたのに、難癖ばっかり! 私も画材を片付けて帰ってやろうと思ったが、それも癪に触る。今まで抑えられていたものをぶつけるようにキャンバスに色をのせてやった。

のんのん

10年前

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色をのせていく途中、はっと我に返る。 怒りや悔しさ、悲しみをぶつけられたキャンバスには、上手く描こうとか技巧とか全く感じないものがあって、散りばめられたそこにある色が、私の狭くなっていた世界を壊した……ような気がした。 抽象的なその感情をぶつけた鮮やかなそれに加えていくのは、あの日の美術室のような暗い色。暗い色には様々な方向から怒りや悔しさを吸い込もうとする悲しみの色を。 無心になり描いていると、

10年前

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「いい絵だな」 振り向かなくてもわかる。 皮肉の似合う少し低めの声。 でも、今の先生にはチクチクしたところが全然なかった。 「やっと本気を出した?」 あの日みたいに先生は、限界まで顔を寄せてきた。 「……先生」 「ん」 「絵描くの、つまんなくなくなった、かも」 ふ、と笑って。 先生は栗色の瞳をおおげさに瞬かせ、私の耳元に囁いた。 「こんなに待たされたものだから、俺はずいぶん眠かったよ」

まーの

10年前

- 完 -