林檎それは毒 りんごそれは薬 毒は薬となる 人は毒を使えない 人はどうしょうもないくらいの 欲望には逆らえない
- 1 -
白雪姫の王妃と毒林檎。 An apple a day keeps the doctor away .一日一個のりんごで医者いらずってこと。 生まれつき毒を持った生物もいるのに、どうして人はそうじゃなかったと思う?人の体は毒に耐えられる構造じゃないからさ。無味無臭の毒は迂闊に触ることもできない。 それでも君はそれが欲しいかい? 暗幕の理科室。唯一意外だったのは毒屋の主が優等生の相良君だったこと。
- 2 -
意外かい。僕がこんなものを作ってるのが。 僕からしてみれば、毒を手に入れようとする君の方が意外だよ。学校一の美人で有名な如月さん。 暗幕のせいで相良君の表情はよく見えない。口調は抑揚がなく、冷やかしではない言い方に聞こえた。 君がこれを何に使うか、誰に使うか、僕にはどうでもいい。でも、僕がこれを作っているのを口外したら、僕は君を……。 相良君の手からそれを受け取ると、 君を監視するからね。
- 3 -
一瞬、彼の口角がくいっと釣り上がったような気がし、思わずぞくりとする。 理科室から出て、相良君から受け取ったものを確認した。小さな透明な瓶の中に、更に小さな、角砂糖のような立方体が二つ。光にかざしてみたら、輪郭がきらきら光って綺麗だった。 毒林檎。魔女が白雪姫に与えた、美味しそうでつややかな毒林檎。 頭の中でその色形をなぞりながら、廊下を歩く。 大丈夫、これを使いたい相手はただ一人なのだ。
- 4 -
理由もただ一つ。 私のものにしたいから、それだけだった。 自分が他人からどう見られているかくらい、自分でわかっている。言い寄られた回数なんか数え切れないほど多い。 でも私が欲しいあの人だけは、私の元に来なかった。 私は初めて自分から他人に近付いた。 でも彼は私に見向きもしない。彼の心は他のものの虜だったから。 奪われたなら、奪い返せばいい。 私の心は彼が生んだ毒に浸かりきっているのよ。
- 5 -
彼の飲み物にこの白い毒を落とす。 ”効果は折り紙付きだ。悶え苦しむ暇も与えないほどのすばやさで『コレ』は相手の命を奪うよ” 相良君の静かな声が耳に甦る。 その抑揚のない言葉が、私に暗い勇気をくれる。 瓶の中で転がる二つの毒薬。 この小さな立方体が。 彼と。 ──そして私の、命を握っているのだ。 まるで、神様を瓶に閉じ込めたような気分だった。 そして私はようやく求める背中を見つけた。
- 6 -
「ねぇ、ここにコーヒーがあるんだけど、ちょっとお茶してかない?」と声をかける。 「えっ、あー」 「ねっ、少しくらいいいじゃない」 「ああ、じゃあちょっとだけ」 そう言って、彼はコーヒーを飲み干す 彼はそう、死ぬのだ それはあまりにも早く… 倒れていく…
- 7 -
その命はまるでコーヒーに溶けてゆく角砂糖の様に。 これで彼は私の物。 誰も奪う事の出来ない私だけの物。 これで彼は私の物? 私が本当に欲しかったのは彼の身体なんかではなかったはずだ。 彼の声が、笑顔が、心が欲しかったはずなのに…後悔が心満たしてゆく。 やり場のない気持ちと動かなくなった彼に呆然とする私は…彼に気がつかなかった。 「監視していたよ。」 そう後ろから声が聞こえた。
- 8 -
「如月さん。ずっと監視していたよ。毒屋の僕が、好きだったんだろ?ずっと視ていたよ。僕も君のことが──」 そこで声の主、相良君が倒れる。私が追っていた背中が、相良君だったなんて。彼の声は、笑顔は、心は…別だった? 「最期に…」 相良君がかすれた声でそう言った。 「君が…欲しかった。だから毒屋を始めた。君を毒で犯したんだ。でも、人はどうしようもないくらいの欲望には逆らえないんだね…」
- 完 -