嫌な予感ほど当たる。 それは、自ら悪いイメージを潜在意識に刷り込んでいるからそうなる場合が多い。 悪いイメージを作らないようにしていても、なぜか負のオーラを放つ場所に向かってしまう。それは潜在意識に関係なく、ただついていないだけ、という一言ですまされるものなのか。 いや、違う。望んでないのに道に迷い、この町の心霊スポットの廃病院にいるあたしは、何かに導かれているとしか思えないのだ。
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帰ろうと脳は命令しているのに、身体がかくん、と前につんのめった。 「きゃわっ………」 声が必要以上によく響く。こんな場所目隠しした相当やる気のある合唱部員くらいしか喜ばないだろう。少なくとも今わたしの心は嬉しくとも何ともない。 「と…とにかく、戻らないと……」 声を出しても虚しいだけ。 もがいても 助けて 苦しんでも 息が 叫んでも 貴方はまだ怒ってる 視界が霞んでさえ 救われない
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生まれつき心臓に欠陥あって、私の子供時代は入退院の繰り返しだった。 のんちゃんに出会ったのはある病院の院内学級でだ。 一つ年上ののんちゃんはまっすぐな黒髪を前髪あたりで切りそろえ、色の白さもあってか日本人形みたいだった。 内気で人見知りする私と違い、長く病院にいるわりには快活な性格で、私の面倒をよく見てくれた。 「お姉さんができたみたいね」と私の両親も二人を見て喜んだ。 あの事件が起こるまでは。
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のんちゃんの髪を切り落としたのだ。 私は髪が多く癖っ毛で、彼女の真っ直ぐな黒髪が羨ましかった。傷つけたかった訳じゃない。欲しかった。その綺麗な黒髪が、欲しかっただけなのに。私に鋏を向けられたのんちゃんは、どれだけ怖かったことだろう。 結局私は謝る機会もないまま一時退院してしまい、のんちゃんは……その間に亡くなったと、看護師さんから聞いた。 此処に来るまで忘れていた。私は酷い人間だ。
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忘れたかったのかもしれない。幼いあたしは、そのときのあたしには大きすぎる過ちに、ただ蓋をするしかなかった。 そして、のんちゃんは、蓋の内側からずっとこちらを見ていたのだ。 じっとりとした空気をまとう病院内は、無機物さえ蠢き(うごめき)そうな気配を持っていた。 次の瞬間には叫び出しそうな自分と、行くべき場所が分かっているかのように淡々と歩を進める自分がいる。 やがて、一つの扉の前に着いた。
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この部屋番号、少し軋んだ扉、間違いない。ここはのんちゃんがいた病室だった。 「のんちゃん?いるの…?」 口にした瞬間、やはり何かに導かれるように扉に手をかけた。 冷たい金属の感触とともに、指にまとわりつく黒い糸。 「これは…っ!?」 闇の中でもよく見えるきらびやかでしなやかな黒。 ──また…会えたね…── 誰!?振り向こうとした瞬間、 「いやっ…!?巻きついて…っ!?」
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まるで命があるように蠢くその黒い糸に身体が絡めとられる。 その黒い糸は徐々に上へ上へと上がって行き、私の首にまで絡みついてきた。 「いやっ…!?」 糸をほどいた先から、それを許さないというように、更にひどく締め付ける。 ークスクス…ねぇ、苦しい?ー 見えない所から、ツーっと、頬を撫でられる。 「の…ん…っ…ちゃっ…」 酸素が上手く肺に入らず、心臓がバクバクしてきた。
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「ど……して、こん、な……」 呼吸が出来ず、喋ることすら困難な私は呻きながらも必死にのんちゃんに問いかけていた。 『──怖かったよ、ねえ、どんな気持ち?あなたはこれが欲しいのでしょ?心配しないで、すぐに終わるから』 その言葉に只ならぬ恐怖を覚えた私は、自分でも分からないくらい抵抗し、暴れ狂っていた。 何もかもが見えなく、聞こえなくなるほど。 気づいた時はそこで倒れていたが、私はある変化に気づく。
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私の髪がピンと伸びていたのだ。癖っ毛だったはずの髪が艶やかに、鋭いまでの光沢を得ている。 私は自分の髪を手にとって、うっとりと眺めた。それは、のんちゃんの髪と本当にそっくりだった。 サラリ、と髪が抜け落ちる。 困惑をよそにもう十本。 異常な状態に私は、のんちゃんが投薬の副作用で髪が抜け落ちたことを思い出した。 のんちゃんはやっぱり私を許していないのだ。 髪がさらに二十本、抜け落ちる。
- 完 -