汀の待ち人

 海は灰色で、波は穏やか。今日も変わらない。

「先生がもうすぐ近くまで来ているから、海を眺めて待っていなさい」
 だから待っている。すぐ近くに来ているはずの先生を待っている。待っていなさいと言って去ったあの人は、先生を迎えに行ったのだろうか?
 わたしはあれからずっとここにいた。三百年と少し前から、こうして海を眺めている。荒れ狂う波も、人が溺れる様子も、沈んでいく船も。

 先生はまだ来ない。

シケ崎
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海は灰色で、波は穏やか。今日も変わらない。

わたしは、ただぼうっと海を見ていることに飽き、そうだ釣りでもすれば退屈も紛れるだろうと釣りをすることにした。釣りをするくらいならあの人との約束を破ったことにもならないだろうと、わたしは考えた。
ある日、そうやってわたしが海に糸を垂らしていたときのことだ。どこからか烏がやってきて、「やあ。君はいつもここにいるのだな。仕事はやらないのかい」と言った。

仔羊(えるやん)
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腹の白い烏はウミガラスと名乗った。
よちよちと寄って来て、馴れ馴れしく小首を傾げ見上げてくる。
「仕事は知らないけど、待たないといけないの」
釣り糸はピクリともしない。それを見やってウミガラスは明るく言い放った。
「もし魚が釣れたらくれないか。代わりに待っているものを探し出して届けよう」
良い提案に思えた。ただただ待ち続けることに飽き飽きしていたのだから。何の損もない取引だ。
「ええ、いいわ」

113
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「君は何を待っているんだい」
足をぺたぺたさせながら、ウミガラスが尋ねてくる。
「わたしは先生を待っているの。海を眺めて待ってるの」
そう答えた声にかぶせるように、
「先生は本当に来るんだろうか」
とウミガラスが呟く。
心がざわっと騒ぎたて、思わず強い口調になった。
「でも、あなたが連れてきてくれるのでしょう」
寂しげな顔でウミガラスが頷く。
「そうだね。約束だもの」

紬歌
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「その先生は、どこにいってしまったんだろう。どこを探せばいいんだろう」
「先生が来るのはここよ、海を眺めて待ってる私のところ」
釣竿が情けなく海に漂っていた。
「その釣竿は何かを釣れるだろうか。ただそこに揺れ続けることに意味はあるだろうか」
「意味はあるわ。今にきっとなにか釣れるわ」
ウミガラスは頼りない竿を、私を見つめた。
「君は、本当に待っているのかい。ただ海を眺めてるだけじゃないのかい」

紫乃秋乃
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ウミガラスに尋ねられ「どうだったろうか」と疑念がよぎる。何せ、三百年も前の約束なのだ。その時のことは印象的なものごとではなかった。ただぼんやりとしていると、その人が去ったのだ。

海を眺め続けていると、ウミガラスのように理由を尋ねてくる者がいる。海を眺めるのにも理由がいると知り、それで拵えた嘘ではなかったろうか。先生など、元々存在しなかったのでは。
ウミガラスと話していると、そんな気分になった。

aoto'
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「ただ海を眺めているだけなら、こんなところに三百年もいないわ。きっと先生は来る」
けれど、一度芽生えた疑念は消えない。その瞬間、緩やかな灰色の海に、ぴくん、と釣竿が動いた。
「ほらっ!何か釣れたわ」
思いっきり糸を引き上げると、勢いよく魚が跳ね上がった。銀色の鱗がキラキラと輝いている。
「さあ約束通り」
釣れた魚を差し出すと、ウミガラスは魚を咥えて飛び立っていった。小さくなるその姿が見えなくなる。

ラナン
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その日、海は穏やかではなかった。

雷鳴が轟き、雨風が砂浜を荒らした。波飛沫に打たれながら立ち尽くす。白く牙を剥く波に、取り落とした釣竿が呑まれていく。
何かが近づいて来る。そんな予感に震えながら、私は身じろぎもせず嵐の終わりを待った。

やがて雲が切れ、一筋の光がこの浜に落ちた。
ウミガラスの羽ばたきが、波間に聞こえた気がした。

海から、何かが上がって来る。

「……先生」
あなたが、私の。

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「待たせたね」
先生は砂浜に立ち、私へ凪いだ海のような笑みを向けた。

見た瞬間、そうだったと思い出す。先生は、人を水中へ引きずり込む怪物だった。先生はこれから、私をそちらへ連れて行く。たまたま人魚の肉を口にして、不老不死となった私、化け物になった私を、先生なら、一人の『子』として慈しんでくれるのだ。

「さあ、行こう」
差し出された水のような手を、私は握る。水面の向こうは、きっと温かいのだろう。

遠雷
- 完 -

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