スイッチバック

電車の窓からあの桜を見た時、あぁ戻ってきたんだなと痛感した。18歳のときに上京する俺をみんなが見送ってくれた駅に降りた。3年しか、もたなかったと心が痛む。そういや、親父にだけはずっと反対されていたっけ。ミュージシャンなんかお前には無理だと何度も言われた。戻って来いと言ったのも親父だった。 3月いっぱいでミュージシャンもやめて、この4月から実家の小さな家具屋を手伝うことになった。

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駅を降りた俺はバス停のベンチに腰掛け、遠くに見える桜をぼんやりと眺めていた。 ミュージシャンでは食っていけない事はとっくに自覚していた。しかし活気に満ちた東京での生活を捨てられず、気が付けば何も得られないまま3年が経っていた。 やがてロータリーに薄汚れた軽トラが滑り込んで来てた。 「おかえり。乗んな」 久しぶりに見る母さんは少し痩せて見えた。俺はギターと鞄を荷台に放り込んで、助手席に乗り込む。

hayasuite

10年前

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「なんね。まだギター捨ててないんね」 母さんの運転は相変わらずへたくそだった。三年で変わらないものがこの町にはあるんだ。 「向かいの文房具屋さん、半年前に店じまいして。あんたの同級生の、バンド仲間のあの子、あんたと入れ違いに東京に…」 文房具屋のバンド仲間。 高校時代に組んでいたバンドのドラムのヤスシか。 「仕事で?」 俺の質問に、「あんたみたいに夢捨てられん言うて」と母さんは溜息とともに返した。

10年前

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「まぁ、あんたみたいにすぐ帰ってくると思うけど……」 若いもんは夢を諦められんのね、と母さんはこちらを見ずに呟いた。俺は窓の外を眺める。 ヤスシもすぐ帰ってくると思った。ドラムなんて、メロディーを奏でられない楽器じゃ、作曲もままならないだろう。メンバーを集めることすら、困難を極めたのだ。 それでも。 自分の夢を勝手に託すようだが、ヤスシに期待している自分がいることも知っていた。

Dangerous

7年前

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店にいてもすることがない。 「うちの店、大丈夫なんか?」 「職人が作った家具の良さがわからん奴が増えてな。うちみたいな店がないなったら職人は困る」 「若手の職人はネットで売り始めてるからなあ。昔気質もほどほどにせんと」 俺の言葉に親父は黙って腕組みしたまま、何か考え始めたらしい。 「そんなこと言うならわしが納得するように説明できるんなら考えてやる」 頭ごなしに否定されると思った俺は拍子抜けした。

《靉》

6年前

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「お客さんの希望を反映した家具を作るってのはどうかな。希望ってのは、装飾はこうで、とかここにこの数字を刻んでほしい、とかワンポイントだけ。だからオーダーメイドほど高くない。これをネットで全国から注文できるようにするんだ。ほら、うち老舗だから職人のツテが多いだろ。」 「確かにうちなら格安で出来る。よし、さっそく田中さんと岡村さんに連絡してみよう。」 あれよあれよという間に事業は進んだ。

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田中さんや岡村さんは少年時代にお世話になって以来だったが、不慣れな俺にいろいろと協力してくれた。曰く「若いモンに残って欲しい」だそうだ。そんな二人に親父の素っ気ない態度も軟化していった。 そして、事業は予想以上に利益をもたらした。注文殺到、というほどではないが、これまでの赤字を着実に埋めているのは確かだった。気づけば半年が過ぎていた。 「続いてのリクエストは」 何となしに付けたラジオに耳を疑った。

6年前

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「ワンルームロフトの『スイッチバック』……あ、これ皆さんの曲じゃないですか」 スピーカーから笑い声が響く。その中にはどこかで聞いたような声も混じっていた。 「懐かしいね。これ、最初のアルバムのやつだっけ」 「そうそう、俺とハマちゃんで曲書いたやつ」 やはりヤスシの声だ。俺は作業の手を止めてラジオの前に座り直した。 「バンド作って半年くらいの曲だったかな。何かまだフワフワしてて、これじゃダメだって」

nanome

6年前

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「でも、この曲があったからこそ、今の自分がいると思うんです」 「うん、これは俺達の原点なんです!」 それを聴いて、俺は涙が止まらなかった。 あいつが俺の夢を継いでくれていた。 俺のやって来た事が少しでも報われた、そう思えたひと時だった。 そして俺は思った。 俺はここで、俺の原点を更に大きくしてみせる。 そしたらいつか、あいつに手紙を送ろう。 俺自身の手で作った、ドラムスティックを添えて——

hyper

5年前

- 完 -