夕日に赤く染まる帰りの道を歩んでいると、身の丈三メートルはありそうな男に道を阻まれた。 男は燕尾服に二つ穴の空いた段ボール箱を被って何とも不釣り合いで不気味な格好をしている。体格は針のように細く、身長の為か両腕は恐ろしく長く見える。 それに、段ボールの穴からは血走った眼が終始こちらを凝視しているのだ。 「私に用でもあるのか?」 「……」 男は答えない。ゆらりゆらりと左右に揺れるだけである
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用がないならと、私は男の傍を通り抜け再び家路を急いだ。 男が私のすぐ後ろを追いてきているのが、気配でわかる。 歩くスピードはそのままに、後ろを振り返ってみた。男はさも私の影であるかのようにぴったりと私の背後についていた。巨体(と呼ぶにはやや脆弱な長身)を今度は前後に揺らめかせ歩く様は不気味であったが、私は知らない振りをして更に足を速めた。 帰り道はもうじき、赤から黒へ変わってしまいそうだ。
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極力無視しようと思ったが、薄闇で見知らぬ男(ましてや段ボールを被っている)に尾けられるというのはやはり気味が悪いものだ。いつしか私は駆け出していた。振り返ると、案の定男も追走してくる。 (いい加減にしろ!) 思わず怒鳴ろうとした時、クラクションの音が耳朶を叩いた。目を戻すと、正面から私に迫る大型トラックが。 避けられないー 私は死を覚悟した。直後、段ボール男がトラックの前に立ちはだかった。
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長い両腕を伸ばし、段ボール男はトラックを押し止めた。 同時に、耳障りな急ブレーキの音。 男の身体を数メートル後退させ、トラックは停まった。 私は唖然とした。 脆弱に見えて、何と強靭な身体。恐るべき怪力。いったい何者だ、段ボール男。 同じく呆然とし、何か言っている運転手をよそに男は私の傍に戻ってきた。 「あ、ありがとう」 思わず礼を言う。 男はそれも殆ど無視し、またぴたりと私の後ろについた。
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段ボール男は私を守っているのだろうか。狭い歩道ではやや車道寄りを歩いているのがゆらゆらと揺れる影でわかる。 そんなことに気を取られていると、不意に足を踏み外した。体勢を整える暇もなく、私の体は側溝へと──落ちなかった。 段ボール男がすんでのところで私の体を抱え上げてくれたのだ。 「……ありがとう」 やはり返事はない。けれど、今見上げた段ボール男の背丈が、最初に比べてずいぶん伸びている気がした。
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段ボール男はギョリリと眼を動かし、黙って私を立ち上がらせてくれた。刻々と沈んでいく西日を横目に、私はまた帰途を歩きだした。 「なぁ、お前、なんで何も喋らないんだ?」 歩きながら、私はまた遭遇した時よりずっと上にある頭部を見上げて話しかける。もちろん返事はない。 不意に視界が陰った。太陽がちぎれ雲に隠れたのである。
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途端、先程まで私に過保護だった段ボール男が躍りかかってきた。変な男と警戒していたのに、助けられて油断してしまった。 しまったと思ったときにはもう遅い。こういうとき案外人は冷静なのか。火事予防の標語のような言葉が頭に浮かんだ。 トラックを押し止めるくらいの力だ、どうしようもないとわかりつつ必死で手脚をばたつかせる。…と段ボール男の掴む手が少しゆるんだ。 「俺の新しい身体、傷つけてはいけない…」
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「……は?」 新しい身体、という言葉にふと言い様のない不安が私を襲う。 「ずっと探していた。やっと、見つけた」 その瞬間私は、段ボールにぽっかり空いた二つの穴の、奥の目が不自然なほど歪められているのに気づいた。 ……こいつ、笑って、いる。 「見てごらん」段ボール男が地面を指差す。 「お前の影……」 地面に視線を這わせる。違和に気づくのに時間はかからなかった。冷や汗が背中を伝った……。
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はっと気づくと自室のベッドの上にいた。 夢だったのか? 全身に汗をびっしょりとかいているのがわかる。 飛び起きて身体を隅々まで眺める。 …変わったところはないようだ。 それに安堵し深い溜息をつく。 上着を一枚羽織り、リビングへと向かう。 窓に背を向けたことで、足元に影ができた。 ふと影を眺めると、そこには血走った目があった。 夢じゃな…⁉︎ 「ニガ…サ…ナイ…」 それが最後に私が聴いた声だった。
- 完 -