「私ね、30才までにいなくなりたいの」 「どうして」 「おばさんになりたくないの」 そういって真理子はへらっと笑った。 ーー綺麗。 真理子はいつでも綺麗だった。しなやかで、柔らかくて、清楚だった。“真理子は美人”、皆が知っていた。 あのとき私は、おばさんになりたい人なんていないよ、と返したと思う。 でも、私が思っていたよりずっと、真理子はいずれ老けてしまう自分が許せないようだった。
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嗚呼、また年が増える。 年が重なる。 その恐怖は最早、毎日の重圧となってのしかかっていた。 恐ろしい 怖い 恐ろしい 怖い 怖い 怖い 怖い 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ ──その頃の真理子は、もう私の知っている真理子じゃなかった。 「美人の真理子」の面影はなかった。
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それは私たちが30まであと2年という時のある日。 「真理子、みんなも同じように歳を取ってるんだよ?自分だけじゃないよ?」 相変わらず、いや、昔以上に歳をとることへの恐怖で真理子は震えていた。食欲もなく痩せて肌もガサガサ。 40、50代でも綺麗で生き生きした人がたくさんいる。そんな風に生きられることを社会人になった今はよく知っている。 今の真理子は真理子が恐れた貧相なおばさんそのものな姿だった。
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許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない・・・ なんでわたしだけ!なんでこんな風におばさんにならなきゃいけないのっ!! 真理子が立ち上がった勢いで木製の赤いおしゃれな椅子が派手に後ろに倒れて、あ、と私はそちらに気を取られる。 バチッと火花が弾けるような音がして、すぐに左頬に熱を感じた。 何をされたのかと頬に手をあて、真理子に叩かれたのだと知る。
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それ以来、私は真理子から遠ざかった。 それでも狭い町のことだし、噂はポツポツと耳に入ってきた。 奇行が目立って勤め先を首になったとか、雨戸をしめっ切った部屋で一日中ブツブツと何か言ってるとか。真偽を確かめたわけではないが、いずれもありそうな話しだと思った。 しかし、真理子と私の高校時代からの共通の友人の話は衝撃的なものだった。 真理子がデリヘル嬢をやっていると言うのだ。
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私は、当時のアルバムを引っ張り出し、クラス写真のページをめくる。そこには、あの頃の聡明で美人で、誰からも好かれた彼女の笑顔があった。以来、心の片隅に彼女の事が重くのしかかっていた。 2年の時が経ち、私達は仕事に追われ、彼女の存在すら忘れてかけていた。そしてある日の午後、突然に真理子から電話がかかってきた。予想に反してその声は明るかった。 「久しぶりね。今度、皆で会わない?よかったら家に来てよ」
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嗚呼、やっと真理子も普通に戻ったんだ。私はその誘いを快諾した。曰くそのお茶会には私以外にも友人や、真理子が以前勤めていた会社の同僚も来るらしかった。 「私、同僚の人とは会ったことないんだけど」 不安げにそう告ると真理子は笑いながら、大丈夫よ、皆話すのが大好きな人達だから……それにお茶会もそんなに長くはならないわ。と言った。 電話を切った後私は友人に連絡を取り、当日共に真理子の家へ行く予定を立てた。
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指定の日時に彼女のアパートへ向かう。 部屋の前には、前の会社の同僚だという、少し年上の優しげな女性が佇んでいた。 「私達二人だけ、ですか?」 「みたいですね」 本当にお茶をするつもりだったのかと、ふと疑念が掠める。 ──30才までにいなくなりたいの。不意に真理子の声が耳に蘇って、胸の奥が冷える。 真理子の誕生日はいつだっけ。そう、確か明日で彼女は30才に…… 部屋の中から、悲鳴が聞こえた。
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先に行くと連絡してきた友人の声だ。嫌な予感がして私は女性と部屋に入ってみる。 テーブルの上にはシフォンケーキと人数分の空のティーカップ。 真理子は椅子に座り微笑んでいる。 いや、違う。それはよく出来た仮面、薄い皮一枚の。 悲鳴をあげた友人がその仮面を真理子の顔に縫い付けている。その手は震え、真理子の白いワンピースには血だまり。 「お茶会の前にあなたたちも手伝って」 狂気のお茶会の始まり──
- 完 -