7月17日、行方不明の恋人を捜しに森へ入った男は携帯電話や地図、身分証といった持ち物をすべて失くして帰った。彼の眼球は突出し、唇は裂けていた。 「虫がいただけ、ただ虫がいただけ」 狂ったようにそう繰り返した。 数日と経たずに男は死んだ。 彼の体内から恋人の毛髪や指が見つかった。 僕はその森を調査してほしいと依頼された。男と恋人の友人を名乗る女性に。彼女の肌は、夏を忘れるほど白く透き通っていた。
- 1 -
森の中といえど、密集する木々に風も通らなければ湿気が逃げない。強い日差しも遮られ、ごつごつとした地面は暗く、今にも足元を掬われそうになる。蝉がいるのか、その鳴き声は幾重にもなって聞こえきた。 伸びきった草をかき分け、持ってきた鎌で道を作りながら前に進む。 「しかしお嬢さん、この森にいい噂は聞きません。何故、僕に付いて来てまで調べたいんです。何か思うところでも?」 後ろを歩く依頼者の女性に尋ねた。
- 2 -
「特にはありません。本当は一人で行こうと思いましたが、さすがに不安でしたから」 淡々と述べる女性。きっと表に出さないだけで、心細さを感じているのだろう。 「そうでしたか。一人で行かないのは賢明な判断でしたね」 本来なら依頼者とはいえ安全か分からない場所に同行させるべきではない。でも、事件の真相を知りたいという同じ思いを否定してはいけないと思った。 「……私の事を疑いはしないのですか?」
- 3 -
疑う? 鎌を引きながら、僕はどう答えるべきか考える。 確かに、亡くなった二人と、この依頼者との関係を洗い出したところ、不穏な噂と出会うのにそう長くはかからなかった。 依頼者は始め二人の友人だと語った。そこに偽りはない。亡くなった男と依頼者とが昔恋人の関係にあったことも、特別おかしな問題ではない。引っかかるのはもっと別のところにある。 「やだな。まるで、自分が犯人でした、とでも語り始めそうですね」
- 4 -
「……」 「失言でした。しかし、こちらからも幾つか聞きたいことがあります」 「事務所の方でお話ししました」 「はい。ですがまだ、三人の関係について全てを語っていないようなので」 「私と彼はとっくの昔に……!」 顔に浮かぶ怒りと悲しみ。彼女に会って初めての、大きな感情の動きだった。 「失礼ですが三人の出身を調べさせてもらいました。大学で仲良くなった、と仰っていましたが、違いますね?」
- 5 -
鎌を動かす手を止め、彼女に向き直る。女性はハッと我に返り、青ざめた。 「皆さんは同じ地元の中学に通う、同級生だった。高校は別々だったものの、大学で再会し、貴方は彼と付き合うようになった」 しかし女性の友人もまた、男に気があった。 彼女は2人の交際を知るや否や、あらゆる手を尽くし、彼を手にした。 「そんな境遇の貴方が、理由もなくこの森を訪れるとは思えない。いい加減、本当の目的を教えてはくれませんか」
- 6 -
「虫が何なのか知りたいんです」 僕は何となく、手にしている鎌を背中に隠す。隠す意味はないのはわかっていても、虫の知らせ……。 ここにも"虫"が。浮気も"虫"と言われる。 鎌を隠した背中や額から、ねっとりとした汗が伝う。飛んで火に入る夏の虫、なのだろうか。 「その虫の正体知ってるんじゃ?」 僕の言葉の後、女性は急に笑い始めた。白い肌が僅かに紅潮している。 「浮気の虫は死ななきゃわからないから!」
- 7 -
「でも私がやったのはあの子だけ。彼は、彼は……違うんです!」 目尻にうっすらと涙を浮かべ、それでも女性は笑い続ける。 「虫なんです。彼をあんな風にしたのは、虫」 ぐう、と低く呻いて、女性は口元を押さえた。必死で閉じようとしているが、口はけたたましく笑い続ける。ずるり、と湿った音がした。 まさか。本当に、虫がいるというのか。 その腹の中に。 「たす、け、て」 蚊の鳴くような声は、すぐにかき消された。
- 8 -
「本当は依頼なんかしなくても答えは分かっていたんです。彼はきっと、死んだ彼女を見つけて食べてしまったんです。そして、彼女と溶け合って1つになってしまった。食べたのはきっと、お腹の虫のせい。彼女が死ねば、彼の浮気の虫も死んで、私のところに戻ってくるはずだったの!なのに!今度はお腹の虫のせいで彼女を食べて、彼女と1つになった! 虫がいただけ、ただ虫がいただけ!」 女性は数日後亡くなった。
- 完 -