オネイロスの祝福

朝のホームルームは彼女が自殺した旨を伝える担任の言葉で始まった。教室がざわめき立つのをどこか他人事のように眺める私がいる。 私は彼女の死が自分のせいだなんて悲観しない。 私がいてもいなくても彼女は死を選んだだろうから。 彼女にとっての私はいてもいなくても同じだった。 私の彼女を救いたいという思いは彼女には響かなかった。その為に奔走した時間も彼女にとっては無に等しかった。 ただそれだけなのだ。

雪中花

8年前

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「ねぇ…ひろみは知ってる?オネイロスのこと」 私は前に彼女が話しかけてきた時のことを思い出していた。 「なにそれ…なんか変なイタリア人みたいな名前」 「ふふっ。オネイロスは夢の神様なの。 私ね…いつかオネイロスと結婚して夢の中で自由に毎日を過ごしたいなって」 「叶うといいね、その夢」 「…うん!」 そんな話をする彼女からは親から虐待さている時の辛そうな表情は感じ取れなかった。

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ちょっと不思議な子だったけど、私はそのちょっと不思議なところに惹かれていたんだと思う。 彼女の話を聞いていると現実から抜けれたようなそんな感覚。 これは一つの才能なんだと私は思っていた。彼女だからできる話。いや、もしかしたらこれが彼女なりのSOSだったのかもしれない。 そんな事に気付けなかった私って… けど、いくら自分を責めたって変わらない。 『彼女は死んだ』 また、退屈な毎日が始まる

largo

8年前

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ため息をついて筆箱に目をやった。小さな紙切れが入っていた。見覚えのある筆圧の弱い丸文字で、短い文章が綴られていた。 「放課後 図書館に来てください」 いつから、いつからこの手紙は入っていたのだろう。彼女の手紙に気づくことができなっかった自分を一層憎んだ。 図書館で私に何を伝えたっかたのか。もしかしたら救いを求めるメッセージだったかもしれない。 どうして?どうして応えられなかった?

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心が締め付けられるように痛んだ。 後悔したって何も変わらないなんてことは、誰に言われなくても分かってることだった。過ぎたことは、今更遅いんだ。 ……待って。今更? 本当に今更なの? 筆箱の中なんてそう広い空間じゃない。授業中に何度も開ける筆箱の中にこのサイズの紙片が入っていて、何日も気づかないだろうか。 彼女は死んだから、それより後に入れられたはずはないと先入観で思い込んでいただけじゃないのか。

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いやでも、死んだ後でどうやって筆箱の中に紙片を入れるんだろう。 というか多分昨日の夜にはこんなものはなかった、はず。じゃあどうやって? それこそ入れられたとしても私が寝ている間くらいしかない。 ふと、彼女の楽しそうな顔が思い出された。もうあの時間は戻らない。不思議な話も、聞けないのか。あの変な名前の……なんだっけ、あの名前。 寝てる間、夢……まさか。 「オレエロス、だっけ?」

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クラスのひょうきん者の稲葉が大きな声をあげてからかっていた。 「あいつが取り憑かれてたのってさ〜?」 周りの取り巻き連中はクスクス笑って面白がっている。 私は我慢が出来なくて、思わず声をあげていた。 「オネイロスよっ!」 そして、そのまま図書館まで走った。 「なんだよ、あれ?」 「調子狂うよね〜?」 「バッカじゃない?」 などの声が背後から聞こえる。 バカはどっちよ? 私は心でそう叫んだ。

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私の学校にある大きくもない図書室を、図書館と呼ぶのはあの子の癖だった。あの子といるうちに私も図書館などと呼ぶようになったけれど、久しぶりに足を入れたこの空間はやっぱり図書館と呼ぶには相応しくない。 本だって少ないし、部屋だって広くない。だけれどそれに比例してか利用者も少ないから、居心地は抜群に良かった。 あの子が死んでからは一度も足を運ばなかったけど。

ましろ

6年前

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「こっちだよ。ひろみ」 振り向くと、そこに彼女はいた。 何の憂いもないような、穏やかな笑みを湛えて。 パステルカラーのワンピースが、こんなに似合うなんて知らなかった。 記憶の中の彼女は、一年中厚着だったから。 「ねえ聞いて。私、夢を叶えたの」 文句の一つも言ってやりたい。けど、私は彼女を祝福した。 二人だけの図書館で、短い会話を交わしながら思う。 目が覚めたら、まずは夢の始まりを探そう。

- 完 -