後ろ髪を束ね、襟を正した。 横を見ると、『がんばれ!大和撫子!』の横断幕が見えた。 その『大』の字の左側に小さく『(自称)』と書いてあるのが少々気になるが…。 「桜先生〜!頑張って〜!」 「桜先生、いけ〜‼」 生徒達の応援が聞こえた。 今、私は高校の体育教師、兼空手部顧問をしている。 今日は空手の全国大会だ。 「両者、前へ!」 私は黒帯を締め、前へ出た。 場内に緊張が走る…。 「始め‼」
- 1 -
…初戦は何とか勝ちを収めた。 控室に戻ると、空手部の学生たちに囲まれた。 「桜先生、さすがっす!」 「ありがと」 差し出されたタオルで汗を拭いて、ベンチに腰を下ろす。まだまだ選手としても現役、若い子には負けていられない。 「ところで桜先生、さっき、先生の友達っていう人が来てましたよ」 「美人さんでしたよ。妙に慌てて、すぐに出て行ったけど」 …友人が見にくるなんて、聞いてない。 誰だろう。
- 2 -
漆かな?と考える。漆は学生時代仲が良い訳でも悪い訳でもなかったけれど、働き出していろいろあって、今ではすっかり仲良しの飲み仲間だ。 あとでメールかな。とにかく今は集中集中! 頬を叩き、気合を入れる。 と、不意にあの子の顔がチラついた。 まさか。そんな訳がない。あんなにひどい事になったんだ。あの子が私の試合を見にくるなんて絶対に、ありえない。 「…茜」 思いは、自然とこぼれていた。
- 3 -
第二試合、なんとか勝ち星はあげれたけれども足を少しひねったようだ。 控室に戻り、急いで処置をする。 あの考えが試合にも影響したのだろうか。そう手こずる相手ではなかったはずなのにこのざまだ。 漆にメールを送り、他の試合を観戦しに行く。 しばらくして返信があることに気づいた。観戦に熱が入り、気づかなかったらしい。 内容は、自分ではないのこと。では、誰が 「お久しぶりです」 声が聞こえた。
- 4 -
私は息を飲んだ。だって… 乱れた気持ちがまとまらないまま後ろを振り向いた瞬間、 バンッ‼ 後ろで一本を取った強めの音が響いた。緊張感に溢れていた会場も、その技さばきに感嘆と興奮から、客席が大きく沸いた。 だけど今の私には、目の前にいる彼女の事の方が大事だった。 「茜…」 「どうしたんですか?幽霊を見たような顔して…」 そう言って彼女は柔らかに微笑んだ。 「正真正銘、私は茜ですよ。桜先輩」
- 5 -
「隆司遅いよ〜」 「ごめんごめん」 小走りで隣にきた私の彼。サッカー部部長だ。 「また告られたの?まさかOKしてないよね?」 彼は学校1のモテぶりだ。 「そんなわけねぇだろ。それより、今日俺に告った子わかる?」 彼からこんな話をするのは珍しい。 「はい?」 「それがさ、おまえの後輩の茜って子だよ」 驚いた私は声が裏返りながら言った。 「茜が‼うそ…だって私達が付き合ってるの知ってるはずよね…」
- 6 -
「あの子さ、『先輩なんかとどうして付き合ってるんですか』とか言ってきたよ」 ビックリして声も出ない。 可愛い後輩だと思ってた。厳しく指導したこともあったが、それが先輩としての役割であることは彼女も了承してた筈だ。 どうして? 気をつけろよ、と言って隆司は私を心配してくれた。 私は茜に会って、話をしなければならないと思った。 …しかし、その後茜は私の前から忽然と姿を消した。 消して、いた。
- 7 -
私は慌てて体育館に目を走らせる。と、そのとき、 「先輩っ!」 私と隆司は顔を見合わせる。 体育館の隅の方、柔道着を着てぴょんぴょん飛び跳ねる茜がいた。 腰には、黒帯 「桜先輩!私、先輩越えましたから。先輩倒して日本一になります。あ、あとそんなくだらないたらし男と付き合うのはやめてください」 「はぁ?茜のやつ──」 言って、しまったという顔をする隆司。 第三試合が、始まる。
- 8 -
言い寄ってきたのはあいつなんですよ。何を吹き込んだのか知りませんけど。 私は茜の話を思い返していた。後で隆司をとっちめないといけないようだ。 組み合った時、あなたの真実の心が分かるだろうか。すれ違ったブランクの期間を埋め合って、私たちはまた互いに笑い合うことが出来るだろうか。 対峙する茜の真剣な眼差しが私を捉える。 一礼、静寂、始まりの合図。 先制で動いた茜の拳と私の拳が空で交差した。
- 完 -