読書の秋

「…だから嫌いなのよ」 そう聞こえた。 屋上のフェンスの向こうに立つ女の子。 少し離れた柱を背もたれに、本を読む僕。 「落ちるよ」 僕は本から顔も上げずに言った。 「別に良いわよ」 極めて冷淡。 一応、忠告は聞こえたようだ。 僕はこう言ったものの、決して彼女に興味を持っていることもなければ、知り合いでもない。彼女がここから落ちようが落ちまいが、僕にとっては、言葉は悪いがどうでもいい。

Salt Candy

11年前

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彼女はすでにこの世を去っている人間だ。 それは、つまり、幽霊とか魂とか、そういう存在であることを意味している。 けれど僕は彼女みたいな存在をそう呼ぶことはしない。僕は『未練』と呼んでいた。 「ねぇ…」 「……………」 「……もうちょっと強く引き留めてくれないわけ⁈」 「お前たちは本当に未練がましいな」 この世界は交わっている。 それに気づく『人』も『未練』も数少ないけれど…。 僕等は出会えた。

絢咲みさ

11年前

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「あんた、私のことどうでもいいとか思ってんでしょ」 「まあね」 僕は本を読む手を止めない。やっぱり屋上は風が強くて駄目だな。 「ね、何読んでるの?」 彼女がフェンスの向こうから近寄ってきた。 「……別に」 「まあいいや、私の話聞いてよ」 なんて自分勝手な。 僕はそこでようやく彼女の顔を見る。綺麗な黒髪のパッツン前髪の下は端整な顔立ちをしていた。 あまり気が進まないなぁ。 『未練』話なんて。

トウマ

11年前

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「私ね、見ての通り整った顔してるでしょ?そのせいか知らないけど小さい頃から蝶よ花よと育てられてきたわけ」 なんだ。只の自慢話じゃな 「けど…それを良く思わない女子がいたのね。所謂いじめってやつ」 隣に座った彼女は横顔しか見えない。 「…復讐の為に、ここにいるのか?」 思わず聞くと吹き出す彼女。 「まっさかー!復讐なんて興味ないよ。 …けど、同じ目に遭ってる子いてさ。助けてあげたくて」

haco

11年前

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ああ、君と同じ境遇の子がもう一人いたんだ。 それは残念だったね。 僕は心の中で彼女に語りかけた。 彼女は尚も未練を語り続けた。私は彼女と友達になろうとした、とか、彼女が苛められたときに慰めにいった、というようなことを。 傷の舐め合いといつか訪れる裏切り。君が未練になったのだから、展開は予想がつくよ。 そして、君は最後に僕にこういうのだろう? 「だから私は正しい」と。

aoto

11年前

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「だから、私は何も悪くないのよ。」 延々と続いた『未練』話もやっと終わったようだ。フゥと吐息を漏らす彼女に、僕は唯々こう答えた。 「そうか。」 うーんと身体を伸ばす。なかなかこの本は面白かった。本当は、もう少し落ち着いて読みたかったのだがしょうがない。せめて続編は静かに読書を楽しみたいものだ。 「なによ。きちんと聞いていたの!?」 おやおや。彼女は、僕の反応が気に食わなかったらしい。

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彼女は苛々した顔で、僕から本を取り上げ、それは見事な投球フォームでフェンスの向こうに放り投げた。時速100キロは優に越えていたと思われる。 「ひィっ……」 「なにが『そうか。』よ。カッコつけてんじゃないわよ」 僕はふふっとシニカルに笑む。顔の筋肉がピクピクしているのがバレませんように。 「君は僕に手伝えというつもりだろうけど、未練なんて大抵は独善的で自己愛にまみれた糞みたいなものさ」

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「そんなことわかってるわよ」 急にしおらしくなった。 「でも死んだら終わりなのよ。だから助けてあげたいじゃない。自己満足かもしれなくても」 彼女はいつから此処にいるんだろう。僕のように彼女と話をした奴はいたんだろうか。いや、いなかったから彼女は僕に延々と『未練』をぶつけてきたのだ。 「君は成仏したいのか。それともずっとここで自己満足で誰かを助けていたいのか」 彼女は言葉に詰まったようだった。

11年前

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「偽善でもいいの」と彼女は暫くたってからそう答えた。「でも世の中から偽善が全て消えたら、もっと悲しい世界になると思わない?」 何か言い返そうとしたが言葉が出なかった。黙って遠くを見つめる彼女の横顔に、少し心が乱れた。 「読書の邪魔して、ごめんね」 彼女は本当に申し訳なさそうにそう言うと、淋しそうな笑顔のままふっと消えてしまった。 乾いた秋の空の下に、僕の小さな未練の様なものが残されていた。

minu

10年前

- 完 -