美しさとは呪いである。 毒をぬりこまれた林檎。 魔法をかけられ醜い姿になった王子。 人間になるかわりに声を奪われた人魚。 美しさとは常に呪いを付随している。
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人は美しいものが大好きなくせに、それが自分のものにならないとわかると、自分と同じように汚したくなるようだ。 美しいものに向けられる羨望が、嫉妬に変わり、それがやがて呪いになる。 だから、世の中は醜いもので溢れかえっている。 僕はそんな世界が嫌いだ。 美しい人やものが、次第に損なわれていく世界が憎い。 僕の姉さんは、美しい人だった。 だけど、醜いあの男に滅茶苦茶にされて死んだ。
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醜いあの男が姉を傷付け始めたのは、四年前からだった。 あの男は姉と同じ会社の奴で、仕事の出来る上司。主任だった。 姉も仕事をバリバリこなすあの男を、尊敬していた。 だが運命の歯車は少しづつ歪み始めたーー あの男は姉に好意を抱き始め、姉にやたらと構うようになった。 だが姉が、あの男からの好意には答えられないと告げると、あの男は怒りからか、憎しみからか、姉をストーカーするようになった。
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姉の帰宅時間、姉より早く家の前で待ち伏せる。それが出来ない時は、家に着く時間を見計らいメールを送りつける。 姉は親に心配かけたくないと思ったのか、家の前で待ち伏せるあの男を彼氏だと告げた。 「退社時間が同じだったから送ってくれたの」「残業したから無事に着いたか心配してくれてるの」「仕事の打ち合わせのメールもあるのよ」 待ち伏せや大量のメールや電話の理由を語る姉の目は、明らかにおかしかったのに。
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「そうか」 心配しながらも、引き下がる両親。 それでも、私だけはどうしても気になって、毎日窓にかじりついて、姉の帰りを待った。あの男が、姉が帰ってくるより早く家のまえに立つことにもすぐに気づいた。 3日も経たないうちに、あの男はいなくなった。メールも来なくなったらしい。 私が見張ってたからだ、と姉は言った。私はとても誇らしかった。 姉が襲われたのは、そこから一週間後だった。
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異変に気がついたのも僕だった。帰宅時間になっても、姉が帰ってこない。残業があったとしても遅すぎる。 あの男の姿が頭に浮かんだ途端、胸の中がザワザワと騒ぎ立てた。 かじりついていた窓から離れ、家を飛び出し、姉の帰路を通り、携帯電話で急いで姉に電話をかける。 「お願いだから、出て。お願いだから、お願いだから!」 何度目かの呼び出し音のあと、プルルルルという着信音が遠くから聞こえてきた。
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「姉ちゃん…!!」 聞き慣れた着信音 僕は夢中だった。電話を切ることも忘れて、とにかく走った、走りまくった ───だから気づかなかったのだ 深夜、その通りの人々が、異様に色めき立っていたということに 「おい、君!そっちに行くな!」 誰が発したのか、その声も、その時の彼には届かない 「姉ちゃ…」 途絶えた着信音 静かに携帯を耳に当てる男 響く低い声 そして横たわった…
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「彼女は、俺のものになった」 低い声で話すの声は冷静で、異常さを増した。 だらりと下ろされた右手には、血の付いた包丁が握られている。男の足元には、血を流して倒れる姉の姿があった。 「っ……」 僕は身動き出来なかったし、声も出せなかった。 仰向けに倒れる姉の目は虚ろで何も映していなかった。 「ハハハッ、これで俺を拒めない…」 目の前と電話から二重で男の声が聞こえていた。
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「殺してやる!殺してやる──!!」 狂ったように喚き散らし、野次馬に止められる僕はまだ子どもだった。 「男は現行犯逮捕で服役中」 一人暮らしを始めた僕は最近仲良くなった女の子に昔話を聞かせた。 「もうすぐ奴は出所する」 彼女は黙って聞いていた。 「怖いんだ。美しい姉を失った僕も汚れる呪いに掛かっているんじゃないかって。だから……」 「別れない」 彼女が僕を抱きしめた。 「貴方は汚れなかった」
- 完 -